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飛騨の猿神

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どこまでお話しましたか。
そうそう、飛騨で異界に迷い込んだ修行僧が、長者屋敷の美しい娘と契ってしまうところまでで――。

図らずも破戒者に堕してしまった修行僧でしたが。
堕してみれば破戒の暮らしも悪くはないもので。
何しろ連日の饗応でございます。
痩せた体はみるみる肥え、髪も長く伸びてまいりました。

試しにと、髷を結って烏帽子をかぶらせると、これがなかなかの美男子で。
こうなると娘も、僧をこよなく愛して放しません。
すっかり愛欲でがんじがらめにされて、夢のように半年余りが過ぎました。

ところが妙なことには、この頃から妻の表情が沈みがちになりまして。
浅黄衣の舅は相変わらず、饗応を続けますが。
夫が肥えれば肥えるほど、妻は物思いに臥せってやせ衰えていくよう。
僧も訝しく思い、わけを尋ねますが、妻は涙ぐむばかり。

そんなある日のことでございます。
浅黄衣の舅のもとへ来客がございました。
二人の話を僧がたまたま耳にした。

「思わぬ身代わりを手に入れましたな。娘御も命が助かりそうで何よりで」
「あの男が来なかったら、今頃どんな思いで過ごしていたことやら」
「うちはまだ代わりが見つかりませんで。私こそ、来年の今頃どうなっているかと思うと」

何の話だろうかと不気味に思い、妻に聞いてみますが、やはり何も答えません。
そうこうするうちに、村では何か祭祀の準備を進めている様子。
妻の憂いが日毎に増していくのが分かります。
僧はいよいよ不審に思い、問い詰めます。

「これほど愛おしく思っているのに、お前は隠し事をする。それが俺には実に辛い。どうして何も教えてくれないのだ」

愛しい夫に恨み言を言われたことが、よほど妻には堪えたのでしょう。
すすり泣きながら、ついに打ち明けて言いました。

「あなたと一緒にいられる日が、もう幾日も残っていないと思うと、辛いのです」
「俺の命に関わる大事があるのだろう。大方そんなことだろうと思っていた。決して怨みはしない。言ってみろ」
「それでは申し上げますが――」

ト、妻は涙を拭って顔を上げました。

「この国の神が、人を生け贄にして食べるのです。今年は我が家から生け贄を出すことになっておりました。そこへあなたが現れたのです」
「すると、俺は――」
「私の身代わりに捕まったのです」
「なるほど、道理で」

ト、僧も今更ながらに気づきました。
が、もはやじたばたしても仕方がない。
思えば、村の入口で取り合いになった時から、定めは決まっていたのでございましょう。

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「まあいい。それで生け贄というのは、どんな手順で具えられるのだ」
「まず裸にして、俎板の上に寝かせます」
「うむ。俎の上の鯉というわけか」
「それから、社(やしろ)の瑞垣の中へ担ぎ入れて、人々が去った後に、神がさばいて食すと申します。痩せた生け贄を出すと、神がお怒りになって不作や疫病が起こります」
「それで俺をこんなに太らせたのだな」

妻は顔を伏してさめざめと泣きます。
だが、僧には泣いている暇がない。

「一体、その神とはどんな神なのだ」
「なんでも猿の姿を借りて現れるのだとか」

それを聞いて、夫は思うところがあったようで。

「分かった。とりあえず、よく鍛えた刀を俺に探してきてくれ」

妻は力強い言葉に励まされるように、密かに刀を手に入れて夫に渡しました。
それからというもの、僧はよく食べよく飲む一方で、刀を熱心に研いでその日を待ちます。

やがて祭祀が近づいてまいりました。
浅黄の長者の家には注連縄が巡らされ、僧も精進潔斎をさせられます。
妻は不安で仕方がありませんが、夫の平然とした姿にかえって慰められております。

いよいよ、祭祀の日。
僧は沐浴をさせられ、折り目正しい装束を着させられると、神馬に乗せられました。
山の中に瑞垣を巡らせた社が鎮座しております。
人々が見守る中、僧は裸にされ、髻を解かれ、ついに俎の上の鯉となる。
瑞垣を閉じて、人々は去っていきました。

例の刀はどうしたのかと申しますト。
実は伸ばした両脚の間に隠し持っていたのでございます。

来るなら来いという心意気でございますが、不安がないわけではない。

――チョット、一息つきまして。

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