::お知らせ:: 最新怪異譚 焼き場の妖異が我をたばかる を追加しました

 

飛騨の猿神

この怪異譚をシェア

どこまでお話しましたか。
そうそう、異界の長者に騙された僧が、神の生け贄として捧げられるところまでで――。

僧がじっと息を潜めておりますト。
やがて、一の社の扉がギイっと音を立てて開きました。
途端にゾッと身の毛がよだちます。
続いて、ニの社、三の社と、順繰りに扉が開いていく。

ふと見ると、傍らから人間ほどの背丈の猿が現れました。
社に向かってキッキッと声を立てています。

ト、中から御簾を上げて鷹揚に姿を現した者がある。
銀の歯をした一段と大きな猿が、いかめしそうにこちらを見ております。

次々と猿が現れて、ズラッと居並びました。
猿の群れとはいえ、その様は実に壮観で。

初めの猿が大猿の前に進み出ます。
大猿の言葉を謹んで受けると、いよいよ生け贄のもとへ近づいてまいります。
僧は息を呑みました。
おのれは今、猿の餌食になろうとしている。

さばき役の猿が、箸と刀を手に取ります。
僧に向かって刀を振りあげる。
ト、その時――。

僧は両脚の間に挟んでいた刀をさっと握り、突然飛び上がるや、大猿に躍りかかった。

「神とかいうのはお前かッ」

慌てた大猿は倒れこんだ。
刀を突きつけられて、思わず両手を合わせ命乞いをする。
その姿を見て、下っ端の猿たちは慌てて逃げ出します。
僧は葛の蔓を引きちぎって大猿を縛り付ける。
腹には刀が突きつけられている。

「猿の分際で不埒なやつめ。命が惜しいか。ならば他の猿も呼んでこい。ニの社、三の社の猿、それから俺をさばこうとしたやつもだ」

まるで鬼神に睨まれたように、一の社の大猿が弱々しく鳴き声を上げました。
それに応じて、二の社、三の社の猿もおずおずと姿を現します。
三匹の大猿が降参したのだから、さばき役のこわっぱも逃げるわけにはいきません。

僧は四匹の猿を縛り上げると、おのれが煮られるはずだった竈の火を、社に放ちました。

神の社が燃え盛るのを見て、麓の村の人々は震え上がっている。
そこへ、四柱の神を縛り上げて、生け贄が帰ってきたものだから驚いた。




ただでさえ、裸身に長髪を垂らして、手には刀を握っている。
かてて加えて美男子ですから、人々が畏怖したのも無理はない。
その豪傑が、各戸の門を乱暴に叩いて回ります。
村人はもちろん、郡司も舅も慌てて飛び出してくる。

「大変なことになった。神をも凌ぐお方を生け贄にしてしまったとは」
「我々もみな殺されてしまうのではないか」

郡司も舅も怯えております。
村人たちはなおさら震えている。
僧は人々の前に四匹の猿を引きずり出すと、これみよがしに激しく鞭で打ち据えます。

「畜生を神と称して人を生贄にするとは、あまりに卑しき振る舞い。私がいる限り、二度とこのような真似は許さぬ」

僧は大猿の耳を引きちぎらんとばかりに、ねじりあげる。
大猿は怯えきって、痛みに耐えている。

「今度ばかりは命を助けてやる。だが、二度と現れてみろ。一族もろとも皆殺しにしてくれるぞ」

四匹の猿は足を引き摺りながら山へ帰って行きました。
以来、二度と姿を見せなかったとか。

さて、僧がこのまま日の本へ立ち戻れば、豪傑の異界探訪譚で終わったわけですが。
そうはいかないのが、この話の恐ろしいところで。

神をも凌ぐと畏れられた修行僧は、そのまま異界に留まります。
畏れられるまま神の座に君臨し、異界の人々を従えて暮らしました。

増長慢とはまさにこのことで。
娑婆へ戻れば破戒僧だが、この地では国造りの大御神。

たまにこちら側に忍んできては、牛馬を連れて帰ったとか。
それが牛耕馬耕の始まりと、彼の国の神話に伝えられているという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「今昔物語集」巻二十六第八『飛騨の國の猿神、生贄を止むる語』ヨリ)

この怪異譚をシェア

新着のお知らせを受け取る