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女屋敷の天井の穴

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どこまでお話しましたか。
そうそう、清水観音で美女を見初めた中将が、山里の屋敷に招かれたところまでで――。

嗚咽を必死に抑えながら、女がようやく語りだしました。

「実を申しますと、あなたは今宵、殺されにいらっしゃったのでございます」

声を潜めて言ったその言葉が、男の胸に突き刺さる。
唖然とする中将に、女が囁き続けます。

「私はもともと、京にございました、さる屋敷の娘でございます。両親が亡くなりました後は、一人で暮らしておりました。そこへ、この屋敷の主(あるじ)が現れまして、私をさらっていったのでございます」
「さらっていった――。では、この屋敷の主と申すのは」

中将も小声で訊き返す。

「元は乞食だったそうでございます。それがあくどいやり方でのし上がり、今ではこれほどの邸宅を構えているのでございます」
「つまり、盗賊の頭領でございますな」
「左様でございます。主は私に綺麗な衣を纏わせますと、時々ああやって清水様にお参りに行かせるのでございます」
「すると、私のような男がつい見とれる。そして屋敷へおびき寄せる」

恨みがましく中将が言う。
ううっ、ト女がむせびます。

「そうして、それからどうするのです」

急かされて、女が先を続けます。

「もう、この暗闇ですから、ご覧になれますまい。実はあなたのいるその場所の真上に――」
「真上に――」

ト、中将は虚空を見上げますが、そこには漆黒が広がるばかり。

「天井に穴が空いているのでございます」
「穴が――」

それにはさすがに、中将も気づいておりませんでした。

「主が今、天井裏に潜んでおります。この後、あなたが眠りに落ちますと、あの穴から鉾がするすると下りてきます。それを私が受け取って、あなたの胸のあたりにあてがいます。と、主がぐいっと力を込めて突き刺す手はずになっているのです。抵抗する間もない。一瞬です。供の方々は先に殺されるでしょう。あなたは着物を奪われ、馬も奪われます。私とあの男は――、こうして富を手に入れてきたのでございます」

女はそれきり涙にむせんでしまう。
もはや言葉を継ぐことができません。
己の業の深さに打ち震えているようでもあり。
中将との別れを惜しんでいるようでもございます。

中将はその涙の意味をつくづく考えながら、

「なるほど、面白い。では、その鉾、この私が受けて立ちましょう」

大胆にもそう言い放った。

「あなた、何をおっしゃいます」
「大丈夫。なんとかなる」

ト、請け合ってはみたものの――。
それは、仮にも夫婦の契りを交わした女を、安心させたいがためで。

目の前は漆黒の闇でございます。
鼻をつままれても分からない。
いつなんどき、ぐさりと鉾が突き刺さるか知れません。

女の情がどれほどのものか、実のところそれも確信はない。
もしかしたら、これこそ女の謀略かもしれない。
天井裏の盗賊など、本当はいないのではないか。
上に気を取られているうちに、横から出し抜けに刺されるのかもしれない。

「心配するな。きっと返り討ちにしてくれる」
「おやめなさいませ」

ト、突然、女が手を握ったので、中将は思わず振り払ってしまった。
ところが――。




ミシッ、ミシッ、ミシッ、ミシッ――。

確かに、天井裏を誰かが這って進むような音がする。

「逃げて」

ト言いながら、女が再び男の手を握る。
中将の額に汗が滲む。

ミシッ、ミシッ、ミシッ、ミシッ――。

床板の軋む音が、ゆっくりこちらに近づいてきます。
「行け、そのまま通りすぎて行け」ト、中将は必死に願う。
が、その音は無情にも、中将の真上でピタリと止まりました。

その後は不気味なほどに静かになった。
女の言うことが事実なら、自分が寝入るのを待っているのだろう。

中将は耳を澄まし、天井に意識を集める。
女はその傍らで、じっと固まっている。
それがまた、不気味ではございます。
上――、横――。交互に気を張る。

ト、その時――。

どこからか煙が入り込んできて、たちまち目に染みました。
パチパチと木が弾けるような音がする。
天井裏からゴホッゴホッと、男のむせる声がした。

「火事だ、火事だ」

その声に、左右の間で息を潜めていたらしい下人たちが、慌ただしく逃げていくのが分かりました。
混乱の中、いつの間にか女の手が中将から離れている。
手探りで探そうとしているところへ、板戸を破って入ってきた者がある。

「中将様、早く」

それは小舎人童の幼い声で。
小さな手に無理やり引っ張られて、中将は屋敷の外に連れだされました。

「中将様が堀をお渡りになると、下人が数人現れて、橋を落としてしまったのです。その後、他の供の者たちは小屋の中で殺されてしまいました。私はなんとか逃げ出して、中将様をお救いするべく、いちかばちか、火を放ったのです」

加茂の河原に至って、ようやく二人は立ち止まる。
後ろを振り返ってみると、夜空に届かんばかりに、大きな火の手が上がっていた。

翌日。
中将は童に再び案内させ、かの屋敷を訪れてみました。
あたりはすでに、一面の焼け野原となっております。
まだ温かい瓦礫の周りを歩いていると、ふと目に留まったものがある。

男か女かも分からない、焼けただれた亡骸が一体。
胸には鉾が突き刺さっている。
両手でその鉾を握っているのを見ると、どうやら自分で突き刺したものらしい。
瓦礫に左右を囲まれて、鉾がまっすぐ立っている。

その時、初めて中将は、女がすすんで身代わりになったことを知りました。
それが中将を救わんがためだったか、さてまた自身の罪を償うつもりだったのか。
今となっては、それも知る由はございませんが。

中将は、その亡骸に手を合わせると、

「我が妻よ」

ト、呟いたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「今昔物語集」巻ニ十九第二十八『住清水南辺乞食以女謀入殺人語』ヨリ)

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コメント

  1. 深川八幡太郎 より:

    女はそれが最期の夜と知っていたのかもしれませんな。もしくは覚悟の夜であったか。
    美しい女の墓標代わりに鉾が立っているところが、不釣り合いで悲しい光景のように感じます。