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妲己のお百(一)海坊主斬り

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どこまでお話しましたか。
そうそう、禁忌を破って船を出した秋田藩お抱えの船頭桑名徳蔵が、現れた海坊主を国俊の名刀で斬り倒したところまでで――。

この騒ぎに、寝ていた船乗りたちが一斉に飛び出してくる。

「親方、甲板に血が垂れていますが、何事です」
「何でもねえ。そんなことより、もう夜が明けた。血をきれいに拭っちまったら、さっさと船を岸に着けよう」

徳蔵は津軽、南部の両家から買った米を、兵庫鯖江の問屋に担ぎ込みまして。
これを売り払うト、実に五百両トいう莫大な利益が手に入りました。

その頃、徳蔵の妻おみきト、十三歳の倅徳之助は。
中之島は佐竹家蔵屋敷内の住居にて、徳蔵の帰りを待っておりましたが。

妻のおみきには持病がございます。
時しも、母子二人で父を案じておりましたところ。
持病が急に痛み出しまして、おみきは苦しがってもんどり打つ。

倅の徳之助が、おたおたしながら母の腹を押したりさすったりいたしますが。
十三の子供の手ではどうにもならず、母子ともに弱りきっている。

そこへ、表の通りで「ピィーッ」と按摩が吹く笛の音が聞こえてきた。

「按摩さん、按摩さん。おっかさんが――」

呼ばれて入ってきたのは、色が白く、目の青黒い、ひょろっとした盲人で。
どうしたことか、何とも鼻持ちならない、腥い匂いが漂っている。

「ナニ、大したことはない。じきに治ります。ドレ」

ト言って、おみきの背筋をぐーっと撫でさすりますト。
痛みがすーっと下りていくような心地がしまして。
おみきもようやく息を吹き返した。

「按摩さん、本当に上手だねえ。私は今まで、こんなにすぐに痛みが引いたことはなかったよ」

おみきが感心して、按摩にお礼を言いますト。

「これで安心しちゃあいけません。鍼を打っておかないと、いずれまた痛みが起こる」

そう言って、答えも待たずに背中からズブリと鍼を打ち込みました。
おみきは胸がさっと開けるように、急に楽になりまして。
つい、心地よさにうとうととしてまいりました。

すると、その心を読んだように、按摩が勝手に喋り出す。

「ナニ、これくらいは大したことはございません。そんなことより、おかみさん。ご承知でしょうが、臍の下に丹田と申すツボがございます。ここに鍼を打ち込みますと、どんな持病でも根元からバッサリと切り取るように治ります」
「そうかい。それじゃあ、ひとつ打ってもらおうかねえ」

半信半疑ながら、先ほどの痛みが嘘のように消えたこともございますので。
おみきは仰向けになって、腹を按摩の前に出しました。

「それでは、失敬して」

ト、按摩が鍼をぐっと打ち込みました。

「ギャッ」

ト、思わずおみきが悲鳴を上げる。

「按摩さん。今のは随分、痛かったねえ」
「ナニ。これで根治することを思えば、これくらい――」




按摩はそそくさと鍼をしまって、帰り支度をする。

「時に、おかみさん」
「何だい」
「ここは桑名徳蔵さんのお宅でしょうな」
「そうだよ。よくお知りだね。うちの人が療治でも頼んだかい」
「ええ、まあ」

そこで妙に言葉を濁して、按摩は去って行きました。

「徳之助や」
「はい。おっかさん」
「どうして、あんなに臭い按摩を連れてきたんだい」
「だって、おっかさんが苦しがって、あんまり暴れるものだから――」
「これからは、他の按摩をお呼びよ。なんだか、薄気味の悪い按摩だったよ」

おみきも徳之助も、何か落ち着かない気分で、寝床に入る。

その夜――。
再び、母が「ギャッ」と叫ぶ声。

徳之助がハッと目を覚ましますト。
母がもう声もなく、床の中でぐったりト伸びている。

びっくりして、布団をめくり上げて見ますト。
ちょうど鍼を打ったあたりから。
腹が大きく裂けている。
血が無残に噴き出している。

母はすでに息絶えておりました。

徳之助はゾッとして、右往左往するばかり。
その様子を嘲けり笑うようにして。
大きな声がどこからともなく響いてきた。

「さっきの鍼は効いたか、効いたか――」

声のする方を振り返りますト。
天井から、大きな黒いのっぺらぼうが、ゆらゆらとぶら下がっている。

「ヒィッ」

ト、思わずのけぞったところへ、ちょうど父の徳蔵が帰りまして。
刀を抜き、天井の化物に再び斬り付けた。
妖魔は戸口の隙間から逃げていく。
後を追うと、前を流れる堀にドブンと飛び込んで、姿を消しました。

徳蔵は、己の欲から妻を死なせてしまったことをひどく悔みまして。
佐竹侯にいとまを申し出、家督を徳之助に譲りました。

その後、これまでに儲けた金で廻船問屋を開きまして。
元服して徳兵衛と名を改めた倅に、国俊の名刀とともに店を譲りました。
自身は出家して、諸国行脚の旅に出る。

「よいか、徳兵衛。この刀には、母を亡き者にした化物の念が染み付いている。何があっても、決して鞘から抜いてはならぬ」

それから月日が流れまして。
廻船問屋の桑名屋は非常に繁盛しております。
倅の徳兵衛は、出家して姿を消した父に代わりまして。
母の十三回忌の法要を執り行いましたが。

その時に、父から譲り受けた家宝の名刀が出てまいりました。
当時はまだ子供でしたから、その重みも禁忌もわかっておりません。
ただ、父の残した形見が懐かしく、何の気なく鞘を抜きました。

その瞬間、刀の切っ先からすーっと立ち上ったのは。
線香の煙のような一筋の細く黒い気で。

長らく封印されていた邪気が。
後に罪もない町娘に取り憑きまして。
これを稀代の悪女に仕立てあげるという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話のこれが発端でございます。

(講談「秋田騒動 妲妃のお百」ヨリ)

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