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蓮華往生

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どこまでお話しましたか。
そうそう、暴漢に襲われた菊五郎が、今わの際に倅丑之助の出生の秘密を語るところまでで――。

丑之助は突然父を亡くしたばかりか。
己が父の子ではないと聞かされまして。
あまりのことに気が動転いたしました。

特に丑之助を悩ませましたのは。
己が妾の、それも間男との間の不義の子だったということで。

自分は何か生まれながらに穢れているような心持ちになり。
すっかり傷心の丑之助でございましたが。
悪いことというのはどうも重なるもので。

己の女遊びから、名優たる父を死なせてしまったト。
世間では丑之助の評判がガタ落ちでございます。
ついには芝居の世界にいられなくなってしまった。

するト、こうなったのも生まれが不義の子だからだト。
己の身が生来穢れているためなのだト。
丑之助はいよいよ己を責め立てる。
いっそ死のうかしらと思い詰めておりますト。

そこへ助け舟を出したのが、谷中延命寺の住職でございます。
これは以前から尾上父子を贔屓にしている客でございまして。
そういうことなら、自分のところで出家をなさいト申し出た。

丑之助は小姓として延命寺に入りまして。
それから幾年月を、真面目に修行に打ち込みます。
やがて剃髪、得度を赦されまして。
さらに十数年後、名を日道ト改めました。

日道は今や住職の信頼も厚く。
時には住職に代わって法要もする。
このまま仏道者の暮らしがつつがなく。
続くものと思われた矢先のことでございます。

「おい。お前、丑之助じゃねえか」

延命院定例の施しの日。
握り飯をもらうために列をなした乞食のそのひとりが。
突然、日道に旧名で呼びかけた。

「どなたです」

日道は、ゾッとしつつも問うてみる。

「俺だよ。まさか忘れたとは言わせねえ」

ト、頬ッかむりを取った男の顔を見て、日道はハッとした。

「あなたは――。三河屋さんのところの――」
「そうだよ、伝吉だよ。お前に許婚を寝取られた男の、これが成れの果てだ」

日焼けた顔、落ち窪んだ眼窩から見つめるその眼差し。
日道は地獄の番人にでも睨まれたような思いになる。

父の仇には違いございませんが。
己の醜聞をよく知る者でもございます。
後ろめたさからか日道は、伝吉を物陰へと連れて行った。

「なあ、丑之助。俺も飯を食えるようにしておくれよ」

その慌て振りを見てつけあがる伝吉に。
応ト答えてしまったのが、ケチのつけ始めで。

日道の取りなしで、伝吉は延命院の弟子僧になる。
自分で招き入れておきながらも。
日道は毎日が気が気でございません。

その頃、延命院の住職は。
ふとした風邪心地から床につく。
それがあれよあれよといううちにやつれていき。
看病空しく、帰らぬ人となりました。

延命寺の住職は、衆僧の推挙によりまして。
日道が継ぐこととなりましたが。

「おい、どうだい。住職になった気分は」

翌日さっそく、含み笑いをしながら。
伝吉――もとい、僧の柳全がやってくる。

「お礼と言っちゃ何だが、お前には一つ働いてもらうぜ」
「待て。お礼とはどういうことだ」

ト言いつつ日道は、顔から血の気がさあっと引くのを感じました。




「分からねえわけはねえだろう。お前に住職になってもらうために、俺も骨を折った」
「お、お前――。何が望みだ」

もはや毒蜘蛛の巣に掛かった虫けらのような心持ちで。

「俺はあの後、上総へ逃げた。ある寺にしばらく匿ってもらっていたが、なんと奴らは素敵な商売をしているじゃねえか」

柳全の目が不敵に輝いている。

「蓮華往生というのだ。世をはかなんだ者たちに、安らかな死を安堵してやる。その代わりしっかり金は取る」

日道は何のことやら呑み込めない。
それから柳全はしばらく姿を消しましたが。
幾日か後に、職人衆を連れっだって戻ってきた。

大きな蓮華座が本堂に運び込まれる。
美しい桃色の花弁の中に包まれるように。
人ひとり座れる台座がある。

「この床の下はちょうど一丈(3m)ほどの奈落になっているだろう。この台座の上に座すと、重みで花びらがひとりでに閉まる。それと同時に台座が真っ二つに分かれる仕掛けになっている」
「それでは、中へ入った者は」
「台座が分かれた途端に、奈落の底へ落とされるってわけだ。そこへ槍を何本も剣山のように突き立てておいたらどうなると思う」
「お、お前はなんと恐ろしい――」

思わず口を抑えた日道の手が震えている。

「お前の美貌と名声を生かさない手はねえぜ。俺が客を取ってくるから、お前はもっともそうなことを言ってりゃ良い。生きながら極楽往生を遂げられますってな。世の中、こんな物憂い毎日を送るくらいなら、金を払ってでも満ち足りた気分で死にたいという奴は、いくらでもいるのさ」

わなわなト戦慄する日道をよそに。
早くも翌日には最初のお客がやってくる。
なんとこれが、相当のお上臈でございます。

年の頃なら三十過ぎでございましょうか。
綾錦の衣を身にまとい、まだ色香が匂うようで。
腰元二人ト若党ひとりだけ連れてきたのを見るト。
やはり秘密の来訪である様子です。

「あの、本当に極楽往生が遂げられますか。阿弥陀様の元へ逝けますか」

お上臈は何度も日道に問いかけますが。
日道は恐怖で何も答えられない。
するト、お上臈の方がふとハッとして。
頬を赤らめ、目を伏せた。

周囲では衆僧が南無阿弥陀仏の大合唱。
日道は震える声で経を読む。
お上臈は柳全に促されて蓮の花の中に入ります。
往生はこれからト言うのに、すでに満足しきった顔つきで。

「今日までの日々も無駄ではありませんでした。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」

ト、涙混じりに言い残しますト。
体の重みで花弁がゆっくり閉じてゆく。
この世の最後の名残を惜しむように、ゆっくりト。

もはや、中の様子は分かりません。
悲鳴ももちろん上がりましたろうが。
なにせ、大合唱が全てをかき消している。

日道は力なく目を閉じた。
再び花弁が開くト、そこには誰も残っていない。
お付きの者たちは、妙な役割を終えまして。
腑に落ちない様子で去っていった。

「ところで、お前。あれが誰だか分かったか」

南無阿弥陀仏の合唱の中、伝吉の柳全がささやきます。
その不穏な笑みに日道は何かを感じ取り、

「ま、まさか――」
「ああ。あれから、さる武家の奥方にと無理にあてがわれたという、元三河屋の娘、お梅だよ」

それ以来、日道は生きながら三悪趣に堕ちまして。
罪もなき人々を次々と極楽へ送り出し。
最後は、幕府の奥女中ト関係を持ったことから足が付いて。
柳全トともに刑死に処せられるという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(講談「因果小町」ヨリ。谷中延命院事件、上総蓮華往生事件ナド、実在ノ事件ヲ基礎トセシ虚構ナリ。初代丑之助ハ初代菊五郎ノ後妻ノ連レ子ニシテ、二代目菊五郎襲名後十九歳ニテ早逝セリ)

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