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姿見の池と一葉の松 恋ヶ窪の由来

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どこまでお話しましたか。
そうそう、愛しい夙妻太夫をひとり残し、畠山重忠が平家討伐のために出陣していったところまでで――。

重忠は坂東一の猛者でございますから。
太夫も勇ましい凱旋を信じて疑いませんが。
トハ言え、勝ち負けは常に時の運でもあり。
生き死にもまた天命に左右されるものでございます。

じっと待つ身の夙妻太夫は。
毎日が気が気でございません。

はやる気持ちを鎮めようト。
暁ごろに池へやってきては。
ひとり静かに鼓を打ちました。

初春トハ申せ、凍てつくような寒空の下。
水おもては氷の如く張り詰めている。
ざくざくト霜の下りた池の畔に。
美女が鶴のごとくそっと降り立つ。

ポーンとひとつ鼓を打つト。
鏡のおもてを滑るように。
甲高い音が遠くへ響き渡る。

――我が宿の
池の藤浪
咲きにけり
山ほととぎす
いつか来鳴かん――

待ち切れずに未来を手繰り寄せるように。
やっと訪れたばかりの春をも一気に飛び越え。
遠い夏の景色を思い描いたりナドいたします。

来る日も来る日も鼓を打ち。
そうして胸騒ぎを鎮めている。

ト、その姿を木陰から見ておりましたのは。
かの匹夫、猪顔の振られ治部太で。

恋に焦れてやつれた顔を。
野卑な目つきで遠巻きに見て。
ニタリと下卑た笑みを浮かべては。
鼓ならぬ膝をポンと打った――。

「――まさか。殿様に限ってそんなことが」

太夫の白く美しい顔に。
恐怖の色がさあっと広がっていく。
わなわなと震えだす青い唇。
治部太は眼前に見届けて得意になった。

「まさかだと。へっ、たわけめ。武者は武者でも猪武者じゃ。死ぬ時は死ぬわい」

吐き捨てるようにそれだけ言うト。
治部太はさっさト立ち去った。

今さら思いを遂げようとは思いません。
ただ腹いせに、太夫の青ざめた顔を。
見られればそれで良かったので。

――いや、まさか。殿様に限ってそんなことが。

太夫はみずからの胸に言い聞かせる。

――相撲人の肩を掴んで砕いたほどの豪傑が。

――――坂東武士の誇りと呼ばれた英傑が。

――――――まさか、こうまであっさりと。

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――――――――敵に討たれて果てようとは。

信じまい。
信じまい。
治部太の虚言に違いない。

そう思い込もうとすればするほど。

恋しい重忠が、京の都で木曽殿の兵に。
討たれて死んだトいうその言葉が。
か弱い太夫の胸を重苦しく。
締め付けていくのでございます。

水鏡に映る己の顔が。
日に日にやつれていくのが分かる。

するト、水の精トいうのは薄情なもので。
己が気圧されてきた太夫の美貌を無情にも。
反転攻勢、引きずり込もうとし始めた。

水の表に浮かぶ青い顔。
時折、さざ波が立って乱れます。
じっと見つめているうちに。
太夫はたまらなく悲しくなり。

水の向こうで恋しい殿が。
呼んでいる気がいたします。

哀れ太夫は魅入られるようにして。
みずから池に身を沈めました。

その死を知った宿場の人々が。
太夫の亡骸を池の畔に葬りまして。
墓標に一本の松を植えてやりましたが。

松トいうものは、針のような葉が二本で一組が常ながら。
これは、葉が一本ずつしかないトいう、世にも珍しい一葉(ひとは)の松。

一方の重忠は連戦連勝を重ねまして。
平家を見事滅ぼし、かの宿場町へ戻って参りますト。

太夫は己を恋い慕って死んだトいう。
愕然として池の畔に膝を突く。

眼前には鏡の如く張り詰めた水。
そこに映るはやつれた武者。

一葉の松の針のような葉が一本。
思わず零した坂東武者の一筋の涙。

鏡の如き水面に、それらが波紋を起こしまして。
猛者の姿をたちまちかき消してしまったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(武州ノ伝説ヨリ)

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コメント

  1. koko より:

    こんばんは、いつもお話を楽しく拝見しております
    細かい指摘で恐縮なのですが、はやづまだゆう、ではなく
    あさづまだゆう、ではございませんか?
    http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/chiiki/asahi/archive/kyodoshi2015-2.pdf
    はやづま、という読みもあるのでしたら申し訳ありません

    • 砂村隠亡丸 より:

      koko様。
      ご指摘いただきありがとうございます。

      なるほど、これは「あさづま」が正しいでしょうね。
      種本とした角川書店「日本の伝説15 東京の伝説」に「はやづま」とあったのですが、私も不自然には思っていました。
      漢字源では「はやくから/朝早く/〈対語〉→夜」とありますから、「夕」に呼応するイメージとして「あさ」なのかもしれません。
      「夙妻」の読みが伝わっていない、または二通りの読み方が伝わっているなどの可能性もなくもないですが、「あさづま」の方が私としてもしっくりきますので、早速訂正させていただきます。
      拙文にお付き合い下さり、こちらこそ恐縮です。

      ありがとうございました。