::お知らせ::  [ 画師略伝 ] 「月岡芳年 ―血みどろ絵師は「生」を見つめた―」を追加しました

雨夜の悪党 引窓与兵衛

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どこまでお話しましたか。
そうそう、名主の与左衛門を殺した与兵衛が、その死体を使って若衆たちから金を騙し取るところまでで――。

与兵衛は再び与左衛門の死体を担ぎまして。
雨の中を迷うことなく駆けていきますト。
やってまいりましたのは、当の与左衛門の屋敷でございます。

髪結いとして出入りもしておりましたので。
与兵衛は勝手知ったる他人の家トばかりに。
主人を背負ったまま庭に入っていきまして。

井戸端に与左衛門を下ろすト。
トントンと今度は申し訳なさそうに戸を叩いた。

「おい。今、帰えったよ」

ト、相変わらずの声色で。
雨音に紛れて、それらしく聞こえます。

「誰ですよ。こんな時分に」

ト、嫌味らしく答えたのは老妻の声。

「いい年をして夜更かしだなんてみっともない。表から堂々と入ってきたらいいじゃありませんか」
「奉公人の手前、そうもいかねえ。開けてくれ」
「いやですよ。こんな時分まで、誰の家へ行っていたんです。嫌らしい。私はひとりでここで寝ますから、表から入るか、それが嫌ならその誰かの家で寝かせてもらったらいいじゃありませんか」

どうやら、妬いている様子で。

「どうしても開けねえか」
「開けません。私にも意地がありますからね」
「開けねえか。そうか。長いこと世話になった。これまでのことは、謝っても謝りきれねえ」

与兵衛は抜き足差し足忍び足で。
名主をそっと抱き上げますト。
井戸に向かって真っ逆さまに。
与左衛門の死骸を放り込む。

ドボンと大きな音が響きました。

井戸端に主人の草履を揃えて置き。
スッキリ手ぶらで、みたび駆け出した。

入れ替わるように雨戸が開く。
老妻がやや心配した様子で顔を出しますト。
井戸端に旦那の草履が揃えてある。

「だ、誰か来ておくれ。旦那様が、旦那様が――」

与兵衛は己の家に立ち返る。
心細げに待ちわびていたのは妻のお早。
その手を取って連れ出そうとしますト。

「ちょ、ちょっと待っておくれ。だ、旦那様は」
「首尾よく始末はつけた。そんなことより、まあ聞けよ。もう一仕事したら、このままこの家とおさらばだ。大金を持って江戸へ帰るぞ」

お早は何がなんだか分かりません。

「お前は何でも頷いてりゃいい。分かったな」

お早を連れて向かった先は、与左衛門の家。
与兵衛はお早を垣根の外に待たせておき。
ずかずかと庭に入っていくト、大騒動になっている。

「おかみさん、ご無沙汰しております。今、表で聞いたら何だか旦那が井戸に落ちたそうで」
「与兵衛、悪いが今はまだ取り込み中なんだよ。落ち着いたら、いろいろと頼みたいこともあるから」

ト、老妻はそわそわした様子で追い返そうとする。

「へえ。そのことでおかみさんにちょいと話がございまして」
「何だい。話とは」
「あんまり聞こえのいい話じゃございませんから、ちょいと人払いを――」

するト、おかみも後ろ暗いところがないわけではございませんので。
奉公人たちを遠ざけて、与兵衛の方へ耳を突き出した。

「さっき、表で妙な話を聞きましたが」
「何だい、妙な話とは」
「旦那は井戸に落ちたってえのに、水を呑んでなかったというじゃありませんか」
「そうなんだよ。お前、よく知っているじゃないか」
「井戸に落ちたのに水を呑んでいないのはおかしい。こりゃあ落ちる前にもう死んでいたからに違いねえ」
「――お、恐ろしいことをお言いでないよ」

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老妻はまだ与兵衛の意図に気づいていない。

「実は旦那をここへ送ってきたのはうちのお早でしてね」
「まあ、あの女狐が」
「いや、そうじゃない。旦那はあっしに相談があって家に来た。話が終わって、送るように言ったのはあっしです」
「相談て、どんなことを」

与兵衛は顔をぐっと突き出して。

「近頃、おかみさんとうまくいっていない。お早をあっしにくれてやったのに、まだ妬いて仲を疑っている。あの家にいると、夜中に寝首をかかれる気がしてならないと――」
「馬鹿をお言いでないよ」

老妻は思わずムッとした。

「いや、それがお早が妙なことを言い出しまして」

ト、与兵衛が垣根の外を指差しますト。

そこに、お早が居づらそうにして立っている。

「胸騒ぎがして、ちょうどあそこから見守っていると」

老妻は、その言葉にハッとした。

「旦那が開けてくれと言うのに、おかみさんがなかなか開けてくれない。ようやく雨戸を開けて出てきたかと思うと、鬼のような形相をしたおかみさんが、手にした心張り棒で――」
「で、デタラメだよ。人聞きの悪い――」
「しかし、考えてみなせえ。人が聞いたらどちらの話を信じるか――」

――夜明け前。

雨はすっかり上がっている。
若衆たちからせしめた金を左袖に。
無実の老妻から強請りとった金を右袖に。

ほくほく顔で歩いて行く与兵衛の後を。
お早は重い足取りで追っていく。

――殺される。このままついていけば、私も殺される。

人をひとり殺すばかりでは飽き足らず。
その罪を他人に負わせて平気でいる。
当人が認めもしない罪を種に金を強請りとる。
こんな悪党についていって命が無事にあろうものか。

――殺される。あれだけの大金を、この男が独り占めにしない訳がない。

フト見れば、路傍には打ち捨てられた草刈り鎌。
お早の心に思わず魔が差した、ちょうどその時。

「お早、渡し船があるにはあるが、人に見られると面倒だ。俺がお前をおぶって渡ろう」

二人の行く手には、ドウドウと流れる新利根川。
草間に光る鎌の刃が、女の鋭い眼光を惹きつけて放さなかったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(落語「雨夜の引窓」ヨリ。二代目三遊亭圓生作「早川雨後の月」ヲ、弟子ノ三遊亭圓朝ガ改作セシ物ナリ。上方ニ「算段の平兵衛」ナル類話アリ)

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