こんな話がございます。
唐の国の話でございます。
当時、板橋店(はんきょうてん)という辺鄙な街に。
一軒の旅の宿がありまして。
彼の国では客桟とか旅店とか呼びますが。
飯屋でありながら寝泊まりも出来るという。
その店内でせわしなく立ちまわる者が一人。
独り身の年増だが艶のある。
名を三娘子(さんじょうし)と申す女侠。
これがその旅店の女主人。
雇い人も置かず、身内のある風もなく。
一人で宿を切り盛りしておりました。
宿の裏では驢馬をたくさん飼っている。
酒樽から頭と脚を突き出したようなのが。
日の当たらぬ狭い裏庭に。
ヒヒンヒヒンとひしめき合っている。
なんでも、驢馬というのは牛馬より育てやすいとかで。
我が日の本ではあまり見かけませんナ。
彼の国では荷馬や家畜、さらに老いては食い物として。
非常に重宝されると申します。
三娘子は自家で育てたこれらの驢馬を。
歩き疲れたり馬に死なれた旅人などに。
廉価で譲っておりました。
町外れの小さな旅店は、義侠の宿と評判を呼びまして。
あまつさえ婀娜な女主人でございましょう。
いつも旅客で賑わっております。
さて、またここに、趙季和と申す若い旅の者が一人。
都への途次で評判を耳にいたしまして。
ほんのみやげ話にト、ここへ投宿いたしました。
時は夕刻。
すでに先客で一杯で。
店の一番奥、すぐ隣は厨房という不便な席に。
趙はようやく腰を落ち着けました。
三娘子は愛想がよく、また話し上手でございます。
ただでさえ鼻の下を伸ばしてやってきた客たちが。
勧められるままどんどん飲まされまして。
夜が更けた頃には皆すっかり酔いつぶれ。
各々部屋に入るや、眠ってしまいました。
趙は元来酒を飲めませんから。
酔客の話に耳を傾けるばかりでございましたが。
主人の三娘子が店を片付け始めましたので。
自分も寝間へト向かいました。
三娘子もそれを見て灯りを消し、厨房に入って扉を閉める。
ここを寝間にしているのでございましょう。
ガチャリと錠を掛ける音が聞こえます。
その三娘子の後ろ姿が、ちらついたのでございましょうか。
趙はどうしたことか、今晩に限って寝付かれない。
酔客たちは雷鳴のような鼾を轟かせて寝ております。
だが趙は眠れない。
女主人が気になるわけではない。
ただ水が一杯飲みたいのだ。
ト、みずからそう結論づけまして。
そっと抜き足忍び足で、食堂へ一人出てみますト。
灯りの点った厨房から、何やら物音が響いてくる。
人が立ちまわるような物音だが――。
こんな夜更けにハテ、何をしているのだろう。
誰か他にいるのだろうか。
ト、つい、その戸の隙間から。
厨房の中を覗き見たのは。
運が良かったのか悪かったのか。
――チョット、一息つきまして。
コメント
蕎麦はもともとはこの話のように餅にしたり或いは水に溶いて「蕎麦がき」にして食べる物だったのですね。
「蕎麦切り」なるものは日本での発明らしい。
日本ではこの数百年間「蕎麦」と言えば「蕎麦切り」のことですからね。
しかし、ソ「バ」を喰ってロ「バ」になるとか、嫌な響きだなあ(-_-;)
昔読んだ中国の童話で農業を営む青年が「蕎麦」の精の少女と「フォール・イン・ラブ」する話があったように記憶しているのですが、どなたかご存知ですか?
ヌーベルハンバーグ様
コメントありがとうございます。
蕎麦は中国では稗や粟などと同じ粗末な雑穀の扱いで、日常の食事として定着することはなかったそうです。
この場面は、腹をすかせた旅人に粗食を提供する簡易宿のようなイメージで描かれているのかもしれませんね。
ところで、蕎麦の精の話というのは、これのことでしょうか?
https://fv1.jp/72917/
山東省には『蕎麦むすめ』という漢民族の民話が伝わっている。話はこうだ。
~ 貧農の若者が猫の額みたいに狭く、石ころだらけの土地を何年もかかって一生懸命耕作して蕎麦を播いた。すると、やっと白い花が咲いて満開になった。ある月夜に若者は白い花の精に出会い幸せな一時を過ごすことができた(以下略)