どこまでお話しましたか。
そうそう金造の後妻が、先妻らしき女の霊を見たところまでで――。
翌日、金造も帰ってきまして。
夜、親子三人は一間に川の字となって寝ております。
が、お島は当然寝付かれない。
またきっと来る。
今晩もまたきっと来る。
きっと来る。
カタッと物音。
はっと夜具をひっかぶる。
ト、それは風が障子を叩いた音。
いつまた、あのおぞましい先妻が、いつまた出るか、いつまた出るかト。
居ても立ってもいられなくなり、ついに夫を揺り起こします。
「お、お前さん。お、お、起きておくれよ」
袖引く手先も、呼ぶ声も、震えているのがよくわかる。
お島から事の次第を聞いた金造は、決して新妻を疑うわけではないが、その言葉をにわかには信じません。
「お由が化けて出ただと。お前の前だが、なあお島。先妻のお由は確かに死んだが。患いついて死んだまでさ。痣が残るようなそんな酷い死に方は、決してさせてはいないつもりだ。もとより気立てのいい女だ。俺が後妻をもらったと、恨み妬みを言うようなそんな女じゃ決してない。大方、夢でも見たんだろうよ」
ト、一向に気にしない。
お島は肩を落としてうなだれると、恨めしそうにぎっと唇を噛みしめた。
「それじゃあ、お前さん――」
「何だい」
「それじゃあ、まるで私が」
「――まるでお前が?」
「お由さんを妬んで――」
「――お由を妬んで?」
「嘘を言っているようじゃありませんか」
ト、妻の口の端に籠もった凄みに、金造は慌て始めます。
不穏な気配が寝間に流れ始めた、その時――。
また別の気配が、そこへ割って入るようにフッと通り過ぎたのが、夫婦にはわかった。
まるで二人の頬をそっと撫でていくよう。
お島はハッとして振り返る。
枕元の屏風には、やはり――。
むごたらしく顔を腫らした女の姿がある。
ギャッとお島は声を上げる。
これには金造も驚いた。
「お由。お前、一体何だって――」
お由はじっとこちらを見下ろしている。
お島を見ているのか。
金造を見ているのか。
はてまた志太郎を見ているのか。
ともかく何かを言いたそうにして。
こちらを見て口を小さく震わせている。
が、言葉が出ない。
ト、堰を切ったようにスルスルと。
突然喋り出したので、金造お島は驚いた。
が、お由が喋り出したのじゃない。
今日の今日まで、口が利けないものとばかり思い込んで育ててきた志太郎が――。
川の字の真ん中で穏やかな寝顔を浮かべたまま、操られるように喋り出したからたまりません。
――チョット、一息つきまして。
コメント
お初お目にかかります。
『口なき子』のオチがよく理解できず、
ぜひ砂村隠亡丸様のご見解についてお教えいただければと存じます。
私が考えたところでは、
仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
その報いを今受けており、
お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
という可能性に気づいたお島が、
これ以上当人同士の争いに巻き込まれたくないので
志太郎を殺害の上逃げ出したということでしょうか。
口封じのためにお由がお島を殺したという解釈も頭に浮かびましたが、
それでは志太郎が殺された訳が分かりませんので…
いったち様
コメントありがとうございます。
基本的には読んだ方の解釈におまかせしたいと思っておりますが、
分かりづらい部分があったかもしれません。
あくまで私の印象ですが、以下に記します。
>仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
>ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
>お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
>その報いを今受けており、
>お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
>という可能性に気づいたお島
私も同じ解釈です。
お島が志太郎を殺して逃げる場面ですが、
血の繋がりもない志太郎に纏わる因果があまりに恐ろしく、
発作的にやってしまったのではないかと感じます。
ただ、それはお島の勝手な妄想ですし、お由の言い分もどこまで信じられるものなのか。
頑是ない子供をめぐる三人の女がみな恐ろしい。そんな物語と思っております。