どこまでお話しましたか。
そうそう金造の先妻お由の霊が現れて、寝ていた志太郎が思いもかけずに喋り出したところまでで――。
志太郎は、あくまで気持ちよさそうに眠ってはおりますが。
その口元だけは、確かにもごもごと動いている。
その隙間から、言霊がまるで躍りだしてくるように、誰かの喋り声が聞こえてくる。
「お前さん。私ですよ。お前さん」
志太郎の口元から訴えかけてくるその声に、金造お島はゾッと寒気を覚えながらも。
恐る恐る屏風の方を見上げます。
そう、これは死んだ先妻のお由が、自分ではものを喋られないので。
志太郎の口を借りて何かを訴えようと、懸命に語りかけたものでございましょう。
声は子供の声ながら、語り口に少し艶がある。
「お島さん。驚いちゃいけない。私は――」
ト、お由の霊は続いて後妻のお島に語りかけた。
「私はあなたを妬む気持ちは一つもない。金造が申したとおり――と自分で言うのもおこがましいが。私のたった一つの未練とは、金造とあなたのことじゃありません。この可哀想な志太郎が口を利けないその訳を、誰にも打ち明けないまま死んでしまった。その因果が死後に報い、こうして浮かばれずにいるのです」
「待て、待て。志太郎が口を利けないその訳とは」
金造も気にかかって問いかけます。
「金造さん。……怒っちゃいけませんよ」
ト、お由は凄まじい姿形ながら、気弱な声で。
するとかえって金造も気にかかる。
「実はあなたと一緒になる前――」
「うむ。お前は洗濯やら縫い物やら、手間賃仕事で一人、出入りしていたが」
「はい。実はその時、旦那様のお手が付き――」
「何……」
ト、思わず金造の眉間に皺が寄った。
「私が産んだのがこの志太郎」
これには金造も思わず取り乱しました。
「それでは、恥かきっ子と触れ回っていたのは――」
「世間を憚り、ご新造様の面目も施すため」
「それでは、お前の痛ましいその姿は――」
「恨みと妬みで憤死したご新造様が、私を修羅道に引きずり込んで――ぶちます。叩きます。打擲(ちょうちゃく)します」
「それでは、志太郎が口を利けないのも――」
「すぐ後に死んだご新造様の腹いせで」
「旦那様やお前が死んだのは――」
「ご新造様に、引きずり込まれたのです」
きっと、亡くなったご新造様の霊を慰めれば、志太郎への祟りも、お由への責め苦も、みな消えるだろう。
ト、金造は、後に妻となるお由に手がついていたことも、それは当人の非ではございませんから。
旦那、ご新造、お由の三人が成仏できるよう、供養を懇ろにすると約束する。
すると、お由は念を押すように、金造夫婦を見つめて姿を消しました。
志太郎もしゃべり疲れたように、再び寝息を立てました。
ところが、腑に落ちないのは後妻のお島で。
岡目八目とは申しますが。
傍らでその話を聞いていると、どうしてもおかしい部分がある。
旦那もお由も、ご新造の祟りで死んだと言うが。
まだ死んでいる者が二人ある。
それは旦那とご新造の間にできた、跡を継ぐはずだった二人の倅。
実母の恨みを買ういわれがない。
ご新造の後を追うように相次いで死んだのは、果たしてこれもご新造のせいだったのか。
それともむしろ――。
ト、考えますト。
あのむごたらしく打擲された、お由の姿。
あの女の面影が、かえって修羅の凄みを感じさせます。
ゾッと背筋に寒気が走る。
お由はお由で、恨み妬みがなかったか。
旦那の本妻たるご新造を、邪魔者と思いはしなかったのか。
ご新造と二人の倅を殺した意趣返しを、今、受けているのではないのか。
互いに争いに明け暮れる場所、それが修羅道。
今もまだ、ご新造と憎悪をぶつけあっているに違いない。
金造は先妻お由の求めに従って、朝な夕な、懇ろに仏名を唱えます。
旦那、ご新造、お由の三者の位牌に向かって、熱心に手を合わせる日々。
お島は志太郎の手を取りながら。
ふと、その顔を見下ろした時などに。
また急に喋り出しはしまいかと。
自分もやはり妬まれているのではなかろうかと。
そう考えたのかどうかは存じませんが。
ある時、お島は忽然と姿を消しました。
帰宅した金造が見たものは、変わり果てた倅、志太郎の姿。
口に濡れ手ぬぐいを詰め込まれ、すでに息絶えていたという。
可哀想なのはこの志太郎で。
口を利けなかったばっかりに。
怨霊の手先のように恐れられ。
ついには命も奪われてしまい。
死人に口なしとはこのことではないかという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「耳嚢」巻之八『幽魂貞心孝道の事』ヨリ)
コメント
お初お目にかかります。
『口なき子』のオチがよく理解できず、
ぜひ砂村隠亡丸様のご見解についてお教えいただければと存じます。
私が考えたところでは、
仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
その報いを今受けており、
お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
という可能性に気づいたお島が、
これ以上当人同士の争いに巻き込まれたくないので
志太郎を殺害の上逃げ出したということでしょうか。
口封じのためにお由がお島を殺したという解釈も頭に浮かびましたが、
それでは志太郎が殺された訳が分かりませんので…
いったち様
コメントありがとうございます。
基本的には読んだ方の解釈におまかせしたいと思っておりますが、
分かりづらい部分があったかもしれません。
あくまで私の印象ですが、以下に記します。
>仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
>ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
>お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
>その報いを今受けており、
>お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
>という可能性に気づいたお島
私も同じ解釈です。
お島が志太郎を殺して逃げる場面ですが、
血の繋がりもない志太郎に纏わる因果があまりに恐ろしく、
発作的にやってしまったのではないかと感じます。
ただ、それはお島の勝手な妄想ですし、お由の言い分もどこまで信じられるものなのか。
頑是ない子供をめぐる三人の女がみな恐ろしい。そんな物語と思っております。