こんな話がございます。
奥州のとある山奥の村に、三本枝と呼ばれる竹やぶがあるそうで。
そこに狐が一匹住んでおりまして、よく村人たちを化かします。
ト、それが普通の化かし方ではございません。
この狐のために命を落としたものもあるほどで。
村人たちは「三本枝の狐」と呼んで、心底恐れておりました。
「日が暮れてからは決して三本枝に近づいてはならねえぞ」
ト、互いに戒めあうのが、もはや村人同士の挨拶でございます。
さて、ここに、名を彦兵衛と申す若い衆が一人おりまして。
これは村のうちでも、飛び抜けて肝の太いことが自慢の大男。
大の大人が寄り集まって、狐一匹を恐れていることが、焦れったくてたまらない。
その日も、業を煮やしたように立ち上がると、集まった村人たちを叱咤した。
「馬鹿馬鹿しい。狐なんぞに化かされて、おめおめと泣き寝入りするつもりか。あんなものは、こっちから出向いて、痛い目に遭わせてやればいい」
ト、わざわざ日暮れになるのを待って、一人で三本枝の竹やぶに分け入っていきました。
しばらく歩いておりますと、赤ん坊を背負った娘が一人で歩いているのが見えた。
暗く静まり返ったやぶの中を、恐れる気色もなく、淡々と歩いていく。
背中の赤子も妙におとなしく、身動きもせず黙っております。
その様子がいかにも怪しい。
「なるほど、あれが三本枝の狐だな。娘の姿に化けて、俺を誘い込もうという魂胆だろう」
さっそく敵が罠を仕掛けてきたので、彦兵衛は嬉々とした。
畜生め、今日こそ鼻を明かしてくれる。
ト、娘に化けた狐の跡をこっそり付いていきました。
彦兵衛に気づいているのか、いないのか。
赤子を背負った娘は、静かに山道を降りていきます。
息を潜めて彦兵衛がついていきますト。
やがて、山の麓の小屋に着いた。
「おっかあ、開けておくれ」
「誰だい」
「私だよ。泊まりにきたんだよ」
がらがらっと引き戸が引かれると、戸口に現れたのは腰の曲がった婆さんで。
下から見上げるように娘の姿を確かめますと、何も言わずに中へ入れました。
それを見て、彦兵衛がいきり立った。
「狐のやつ、年寄りをだまくらかそうというつもりだな。そうはさせん」
だだあっと山道を駆け下りていくと、婆さんの家の戸を乱暴に開けました。
婆さんと娘が驚いたように、こちらを振り返る。
赤子は婆さんの腕に抱かれております。
「いけねえ、婆さん。そいつはあんたの孫なんかじゃねえ。そのうちに石のように重くなって、あんた動けなくなるぞ。前にもそんなことがあった。そこに座っているのは、三本枝の狐だ。娘の姿に化けて、あんたを騙そうとしてるんだ」
婆さんも娘も、キョトンとしている。
「お前さん、一体何を言ってるんだね」
婆さんは彦兵衛を見て、訝しそうに眉をひそめる。
気の短い彦兵衛は、苛立ちながら詰め寄ると、婆さんから赤子を奪いとった。
「見てろ、婆さん。これが本当に赤子かどうか」
ト、突然、囲炉裏の火に赤子を投げ込んだから、婆さんも娘も驚いた。
――チョット、一息つきまして。
コメント
下げが秀逸ですな。
読み手としてもどこからが狐の仕業か待ち構えて読み進め、最後の下げでくるっとやられました。お話自体が狐に化かされたようです。
己は罪を犯したのか否か。
訊くに訊けない。
確かめるすべもない。
出口のない恐怖とはこのことでしょうナ。