こんな話がございます。
昔、出羽国は仙北郡のとある小川に、名を「せいしょう」と申す小鮒が一匹住んでおりました。
この沢には他にも鮒がたくさん住まっておりましたが。
中でもこのせいしょうは、誰もが眉をひそめるほどの大食らいで。
何故、眉をひそめるかと申しますト。
餌をたくさん食べるだけなら他にもおりますが。
せいしょうはただ大食らいなだけでない。
他人の餌まで奪って食う。
それでは、そんなにいつも腹が減っているのかと申しますト。
腹が減るから食うのではない。
そこに食い物があると、残らず平らげてしまいたくなる欲望に駆られる。
まさに欲の塊、欲の泉のような男――イヤ、鮒でございます。
前世は餓鬼道にいたのではないか、ト言いたくなるような浅ましさで。
もっとも、畜生道もあまり褒められたものではございませんが。
鮒というのはそもそも雑食でございます。
水草から虫まで、川の中にあるものは大抵食う。
いやしいことは、何もせいしょうに限ったことではございません。
それでも、ひとりにそんなにたくさん食われると、鮒の世間も迷惑する。
ある時せいしょうが、いつものようにタニシをジャリジャリ、口直しに水草をムシャムシャとやっておりますト――。
突然、お告げのように天から聞こえてきた声があった。
「せいしょうよ、お前そんなに意地汚く食ってばかりいると、いつか大変な目に遭うぞよ」
気の強いせいしょうは、その声にムッといたしまして。
「今のやつ、そこで待っておれッ」
トばかりに、天に向かってぐんぐん泳いで昇っていった。
「おお、来たか。待っておったぞ」
ト、鷹揚に迎えましたのは、一匹の蛙。
これは「カジカの法印」と呼ばれる、蛙の和尚でございます。
蓮の葉ならぬ蕗(ふき)の葉の上に、じっと座している姿はまさに高僧。
天界をよく知る貴い存在として、水中の鮒からも崇敬を集めておりました。
「なんだ、またお前か」
ト、せいしょうは聖人に悪態をつく。
どうやら、しょっちゅう呼びだされては説教をされているようで。
「ちょっと外の空気が吸えるからって、偉そうにするな。たかが蛙が」
尾びれで水をバシャンッと掛けると、せいしょうはまた水に潜っていった。
さて、その晩。
和尚に説教をされたこともあってか、いつにも増してその日はたらふく食べました。
ふぐのように腹が膨れて、ひどい胸焼けがいたします。
欲の皮が突っ張ったとはまさにこのことで。
「ああ、苦しい。意地になって食い過ぎた。少し休むか」
せいしょうは水草を寝床にして、横になる。
たちまち、うつらうつらとしましたが、消化が悪いのでどうしてもうまく熟睡できない。
しばらく夢とうつつの狭間をさまよっておりましたが、やがて妙な夢を見ました。
――チョット、一息つきまして。
コメント
滑稽な話しですな。
が、鮒に仮託しておるだけで、これは須らく人間全般に発せられた戒めなんでしょうな。特に今の世の人間は心して聞くべきなのでしょう。
我々も欲を張っているとミミズを餌に釣り上げられてしまうかもしれません。