こんな話がございます。
芝神明宮の近くに、江島屋と申す古着屋が暖簾を掛けておりました。
古着屋と申しますが、蔵まで持っているような、大店でございます。
ト申しますのも、婚礼の晴れ着や弔いの喪服などというものは、値は張りますが毎日着るようなものじゃない。
一生に何度着るか分からないようなもののために、そうそう大金ははたけません。
そこで、繁盛するのが古着屋で。
ろくに着られないうちに古くなった着物を買い集め、町人相手に安く売る。
古着とはいえ、元は上物ですから見栄えは良い。
町人などは必要な時が来たら、こういったもので間に合わせます。
お侍でもサンピン――イヤ、未だご栄達に縁のない方や、ご浪人なども、こうした古着屋で羽織袴を調達されるそうですが。
ところが、本当に繁盛している古着屋というのは、何もこれだけで食っているわけではない。
俗に「イカモノ」と申しますが、縫いの甘い粗悪品を、それら上物の中に混ぜて売ります。
貧乏人に物の良し悪しナド分かるまい。
どうせ一度しか使わないのだから、そう不便はなかろう。
――ト、まるで「掴まされた方が悪い」とでも言わんばかりの悪人がおりますが。
そんな奴ほどかえってよく儲けるもので。
さて、この江島屋の番頭に、金兵衛と申す実直者がございまして。
店主治右衛門の信頼も篤く、この度は江戸から下総の奥地まで使いに送られましたが。
その帰り道、佐倉の外れにある藤ヶ谷新田と申す在で、金兵衛は道に迷ってしまった。
折りからの吹雪でございます。
視界を奪われ、そうこうしているうちに日もどっぷり暮れました。
深く積もった雪に足を取られて、思うように前へ進めません。
さあ弱ったト、荒天の夜道をどこへともなく懸命に歩いておりますト。
ようやく、田圃の向こうに明かりのついた民家が目に入った。
今にも傾いて毀れそうな、茅葺屋根のあばら家です。
戸を叩くと、そのまま向こうへ突き破りそうなほどで。
「どなたです」
ト、出てきたのは、六十はゆうに越え、七十の坂にも差し掛かったような老婆です。
金兵衛が吹雪に凍えているのを見て、不憫そうに中へ招き入れてくれました。
老婆が囲炉裏に粗朶をくべ、火を吹きつけます。
木の葉に燃え移った炎がぼおっと広がる。
下から照らしだされた老婆の顔。
痩せこけて骨と皮ばかり、心なしか眼光も鋭く見えました。
金兵衛はなんとなく不気味に思いまして、すぐに奥の間に入って横になりました。
老婆はひとり、囲炉裏のそばに座ったままでございます。
そのうちウトウトとしてまいりまして、金兵衛は眠りに落ちましたが。
夜中に金兵衛はふと目を覚ましました。
障子の破れ目から黒い煙が入ってきて目に沁みます。
もしや婆さんが火事でも起こしたかと、飛び起きますト。
囲炉裏のある間は以外にも落ち着いている。
気になって、障子の穴から老婆を覗いてみて驚いた。
骨と皮ばかりの腕をまくし上げている。
着物の切れ端をびりびりと引き裂いては囲炉裏にくべている。
竹火箸で灰の中に何か文字を書いては、力を入れて「うッ」と突き刺す。
その異様な光景に金兵衛は、震えながら念仏を唱えた。
旅人を襲って食う安達ケ原の話を思い起こさせます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」
老婆はなおも、布を引き裂いては囲炉裏にくべ、灰に字を書いては火箸で突き刺している。
ト、おもむろに立ち上がって、柱の方へ早足に歩いていきました。
そこに何か紙が貼ってあり、五寸釘を打ち付けてある。
老婆は大きな石を持ちあげると、ゴーンと力任せに釘の頭を打ちました。
勢い余って、床に転げる。
白髪を振り乱して立ち上がる。
再び五寸釘をゴーン――。
金兵衛は、これはただ事ではないと察知しまして。
慌てて荷物をまとめ始めます。
ト、背後へ老婆の荒い息。
「お客人、お客人――」
振り返るト、石を握りしめた老婆が、肩で息をしながら立っている。
――チョット、一息つきまして。
コメント
恥というものは時と場所でだいぶ違うものでございますな。
今でしたら笑い話の一つにもなるようなことが、生き死にの話になり、さらに積年の怨みにまでなるという。
つくづく今の世に生きる厚顔でよかったと思う次第です。
とは言え、婚礼の席で腰から下が突然下着一枚というのは、現代でもかなりの衝撃でございますよ。
ちなみに、典拠の速記本では「十四、五の折、一度か二度締めた縮緬の土器色(かわらけいろ)になった短い湯巻(ゆもじ)が顕れ――」と、貧乏のため三年ほど身につけっぱなしの汚い下着が丸見えになったので、ということになっております。