どこまでお話しましたか。
そうそう、江島屋の番頭金兵衛が、夜更けに老婆の異様な振る舞いを目にするところまでで――。
金兵衛を見下ろした老婆は、途端に恥じ入った表情になり、
「いえ、何もお客人を責めようというのではございません。ただし、呪いというものは見られたが最後、成就はもはや叶いません。お恥ずかしい限りではございますが、せめて私の無念だけでも聞いてやっておくんなまし」
老婆がしおらしく懇願いたしますので、金兵衛も囲炉裏に当たってわけを聞くことにした。
そこで老婆が恨みつらみを取り混ぜながら、金兵衛に語って聞かせましたところには――。
深川の佐賀町、ちょうど永代橋のたもとの辺りに、倉岡元庵と申す医者がございました。
ある時、ふとした病から煩い付きまして、あっけなく死んでしまいましたが。
その妻と申すのが、何を隠そうこの老婆で。
当時、老婆は夫と娘のお里との三人暮らしでございましたが。
夫を亡くし、もはや江戸では食っていけないと考えまして。
故郷である下総国は大貫村へ戻ることにいたしました。
娘のお里は日に日に美しく成長いたしまして。
殊に江戸育ちでございますから、村の女と違って品が良い。
そうなると、若い衆が放ってはおきません。
名主の倅に見初められ、嫁に行くことになりました。
ところがお里の家は貧乏でございますから。
持参金というものを持たせてやることが出来ません。
そこで名主の源右衛門の方で気を利かせまして。
母子ともに源兵衛方で面倒を見る。
さらに支度金として五十両を出そうト、話がまとまった。
こんな具合にどんどん話が進んでいきますので。
お里の母も、もらった五十両で大急ぎで支度をすることになり。
花嫁衣装は今から仕立てていても間に合いませんので。
江戸へ出て古着の中から見繕うことにいたしました。
折しも、江戸では芝神明宮の祭礼がございましたが。
その見物かたがた、近くに店を構えていた古着屋に立ち寄りまして。
赤地に松竹梅の縫いの入った振り袖に、白の掛帯、それから日常着などもなければなりません。
合わせて四十五両の買い物を、この古着屋でいたしました。
ところで、この村では昔から一つの習わしがございまして。
花嫁は化粧鞍を掛けた馬に乗って、花婿の家へ向かうことになっております。
お里は、文金の高髷に地赤の縫い模様の振り袖、大和錦の帯に白の掛け。
はっとするような美しさで馬に乗せられ、これから名主の家へ向かいます。
時は十月の三日、秋空が晴れ渡っております。
ところが、家を出て一丁半も行ったところで、突然空がかき曇り、大粒の雨が降り始めました。
花嫁もその母も仲人も、行列の全員がずぶ濡れになりまして。
どうにかこうにか名主宅へ到着しはしましたが。
花嫁花婿は奥の一間で三三九度の盃を交わす。
こうして晴れて名主の家の嫁になりますト。
この村では花嫁が来客に給仕をする習いになっている。
あちらの客、こちらの客に酒を注いで回ります。
ト、来客たちは盃を重ねているうちに酔いが回ったものと見えまして。
一人が大声で花嫁を呼び、お酌をさせる。
お里は駆けつけて酒を注ぐ。
ト、また別の客が大声で花嫁を呼ぶ。
こうして忙しく立ちまわっておりますうちに――。
客の一人がすっかり酔って、お里が酒を注いでいる間、畳に後ろ手をついて天井を仰ぐ。
ト、お里の着物の裾の上から手をついているのを、両人ともに気づいていない。
実はこの振り袖が、イカモノでございます。
本来、糸で縫い合わせるべきところを、糊で張り合わせただけのまがい物。
その上に、雨に濡れておりますので、この時すでに糊が剥がれておりました。
お里は酒を注ぎ終えると、
「ではごゆっくりお召し上がり下さいませ」
ト言って立ち上がる。
着物の腰から下が、ぱっと取れて落ちました。
突然のことに、酔った来客たちは大笑い。
お里はあられもない姿で、顔を真っ赤に染めている。
名主はそれを見て、苦虫を噛み潰したような表情で。
「五十両でイカモノを買って来られたか」
ト、お里の母を責め立てました。
明らかに、面目を潰されたト腹を立てている様子です。
「明日の朝、五十両、この家の玄関前に届けてもらおう。母子ともども村から出ていってもらうから、そう思いなせえ」
すごい剣幕で言い放ったのを見て、来客たちは酔いも覚めて帰っていく。
お里と母親も、仲人に手を引かれて、逃げるように帰っていきましたが。
途中、お里はその手を振り払って、一人走り去っていきました。
たどり着いたは坂東太郎、利根川に臨む神崎の土手。
着物の袖をびりびりと引き裂きますト。
恨みの形見のつもりか、柳の枝に掛け置きまして。
己は暴れ川へ身を投じ、そのまま消息知れずとなりました。
――チョット、一息つきまして。
コメント
恥というものは時と場所でだいぶ違うものでございますな。
今でしたら笑い話の一つにもなるようなことが、生き死にの話になり、さらに積年の怨みにまでなるという。
つくづく今の世に生きる厚顔でよかったと思う次第です。
とは言え、婚礼の席で腰から下が突然下着一枚というのは、現代でもかなりの衝撃でございますよ。
ちなみに、典拠の速記本では「十四、五の折、一度か二度締めた縮緬の土器色(かわらけいろ)になった短い湯巻(ゆもじ)が顕れ――」と、貧乏のため三年ほど身につけっぱなしの汚い下着が丸見えになったので、ということになっております。