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キジも鳴かずば

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どこまでお話しましたか。
そうそう、病気のお菊のために、父の仁平が名主の蔵から、米と小豆を盗みだしたところまでで――。

「いいか、お菊。このあずきまんまは神様がくれたものだ。絶対に他の人に教えてはなんねえぞ。神様との約束だからな」

そう言って、仁平は娘の口にあずきまんまを運びます。
お菊の頬が少し緩んで、うまそうに赤いまんまを口に含みました。

それから数日が経ちまして。
あずきまんまがよほど薬になったのか。
お菊の熱は徐々に下がり、すっかり元気になりました。

「お菊、神様との約束だぞ。絶対に人に教えてはなんねえぞ」
「分かったよ、父ちゃん」

仁平はお菊に釘を差して、野良へ出かける。
お菊はいつもの通りに、水仕事にとりかかります。
一通り終わると、久しぶりに毬を手にして外へ出た。

あのね
和尚さんがね
暗い本堂でね
かねチン、もくチン、なむチン
あら、和尚さん
何食うた
あずきまんまを食いました
赤いまんまを食いました

その年の夏。
例年以上に降り続いた雨は、飛騨の山々から川を伝って各地へ流れていきました。
犀川はまたたく間に水かさを増し、久米路橋も今にも流されそうな勢いでございます。

「いけねえ。このままではまた、村が流されるぞ」

村には地方三役と呼ばれる役人たちがおりまして。
こういう時には名主の家に集まって、みなで相談をいたします。

「人柱を立てるほかねえ」

一人が思い出したようにそう言うト、他の者たちは眉をひそめた。

「けども、罪人でもいなきゃあな」
「それがいるんだ」

みなの視線が一斉に男に集まります。

その晩のうちに、仁平の家に村人たちが押し寄せてきました。
有無を言わさずに仁平を捕らえると、乱暴に後ろ手に縛り上げる。

「な、何をするだ」
「お前、ふた月前に名主様の蔵に入って米と小豆を盗んだだろう。あの時は大目に見て黙っていてやったが、こうなったらしかたねえ。村のために人柱になってくれ」

仁平はハッとしながらも、今になって露見したことが納得いかない。

「お、おらじゃねえ」

ト、思わず嘘をつく。
すると、人柱を提案した役人が仁平の前に進み出て、

「証拠はお前の娘だ。お菊があずきまんまを食ったと言ったのを、あの時おらは聞いていたぞ」

泣きながら父親にすがりついていたお菊は、それを聞くとどっと胸が高鳴った。

お菊は役人を見る。
役人は土間の隅にある鞠を見る。
お菊は唖然として言葉も出ない。




「大丈夫だよ。父ちゃん、すぐに戻ってくるからな」

そう言い残して、仁平は村人たちに連れて行かれました。

翌日はまだ大雨でございましたが。
その翌日には雨はすっかりやみまして。
犀川の氾濫もそれでようやく収まったと申します。

一人残されたお菊は、父の帰りを待って泣き続けましたが。
そのうちに声も涙も枯れ果てまして。
人柱とは何たるかを人づてに知りますト。

それ以来、誰が何を訊こうが、話しかけようが。
黙りこんで、一切、物を言わなくなってしまいました。

時は無情でございまして。
何事もなかったかのように、月日は粛々と流れていく。

十年ひとむかしとは申しますが。
今ではあの年の洪水のことも、人柱にされた男のことも、誰も口にいたしません。
遺された娘がどこへ消えたのかも、誰も気にしなくなりました。

ある日、一人の猟師が山へ猟に出かけまして。
雉が飛び立ったのを見るや、鉄砲をズドンと打ち込みます。
弾は見事に命中して、獲物が茂みの中に落ちましたので。

枯れ草をかき分けて進んでいきますト。
沈みゆく夕日を背に追うように。
そこに娘がひとり、立っていた。

美しいがどこか陰のある、冷たい表情の娘です。
手には血まみれの雉を、大事そうに抱えている。

「そいつは、おらが撃った雉だ。渡してもらおう」

猟師は呼びかけましたが、娘はじっとこちらを見据えたまま、何も話しません。

「どうした。おらの言うことが分からねえか」

娘は凍りついたように、ただじっとこちらを見ております。
猟師は魅入られたように、しばし娘を見ておりましたが。

やがて遠くで「カア」と鴉の鳴き声がいたしました。

するト、娘は雉の背中をそっと撫で。

「お前も鳴かずば撃たれまいに」

ト、一言ぽつりと呟きますト。

死んだ雉を胸に抱きかかえたまま。
どこかへ去っていったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(信濃ノ民話ヨリ)

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