どこまでお話しましたか。
そうそう、山中で出会った若者が、助けてくれたお礼と言って、口から大きな銅の箱を取り出したところまでで――。
「どうぞ、開けてごらんなさい」
若者に促されて許彦が引き出しを開けてみますト。
中には酒と料理が山のように詰め込まれておりました。
料理はみな、山海の珍味をふんだんに用いたものでございまして。
許彦が口にしたことのないものばかりでございます。
二人はすっかり打ち解けまして。
酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ちながら。
楽しく食事をしておりましたが。
興に乗り始め、酔いも回り出した時。
ふと、若者が思い出したように言いました。
「こうして男だけで飲んでいてもつまらない。実は女を一人連れて来ましたので、会わせたいと思いますが、いかがでしょう」
許彦も程よく酔っておりましたので、うんうんと頷きました。
するト、若者は再び息をふーっと大きく吐きまして。
口の中からきらびやかな衣をまとった女がするりと抜け出してきた。
十五、六のまだあどけないが、美しい女です。
女は許彦に酒を注ぎ、自分も一緒に飲みました。
許彦はまるで夢でも見ているような気分でございます。
若者の口の中から、箱や酒肴に、女まで出てきたことも勿論ですが。
酔いの回った今では、そんなことは問題ではなく。
ただ、若く美しい女が自分にお酌をしてくれていることに、天にも上る心地になる。
やがて、若者は飲み過ぎたのか、ごろりと横になって眠ってしまった。
許彦は若い女と二人になる。
ト、女が恥ずかしそうにうつむいて、許彦にそっと打ち明けました。
「決してこの人に話してはいけませんよ」
許彦は何だろうと思って、硬い表情で耳を近づけた。
「実は私、この人以外に連れている人がいるんです」
意外な一言に許彦が呆然としておりますト。
女もまた、ふーっと大きく息を吐きまして。
口から出てきたのは、虎鬚を生やした張飛のような猛者です。
猛者は太い腕で女を抱き寄せますト。
「馬鹿な奴め。眠り薬が入っていることも知らずに、呑気に寝ていやがる」
女も猛者の腕の中で、可憐な笑みを浮かべました。
許彦は、その笑みが急に空恐ろしくなる。
「心配するな。爺さんの酒に細工はしていない。俺の用意した薬を、この女が若造の盃に落としたのだ」
その時、若者が寝言を言いながら、寝返りを打った。
「行って、坊やを寝かしつけてきてやれ」
女はまた笑みを浮かべると、ふーっと大きく息を吐いた。
たちまち、衝立が現れました。
女はそれを若者の脇に立て、自分もその陰に入って行きました。
許彦は猛者と二人になる。
「馬鹿な女だ」
二人の寝息が聞こえてくるト、虎鬚の張飛が吐き捨てるように言いました。
「可愛らしく振舞っているが、あれでなかなか抜目のない女だ。若造の家が金持ちなのを知って、媚を売って近づいていったのだ。俺のような強い男が好みだと言うが、本当は俺にあれを殺させて、財産を横取りしたいのだ。俺にしたってあの女はいらぬ。金はいくらでも吸い取ってやるがな」
そう言って、男もまた息をふーっと大きく吐きました。
今度は商家の女主人のような、堅実そうな美人が現れました。
年の頃は三十少し前トいったところでございましょうか。
美人は慎ましやかに、猛者に酒を注いでいる。
しばらくするト、再び若者が寝返りを打つ音が聞こえまして。
若い女が身を起こす音も聞こえました。
「ちっ、もう起きるのか」
猛者は舌打ちするト、女主人風の美人を口の中へ吸い込んだ。
入れ替わるように若い女が衝立の内から出てまいりまして。
「もうすぐ起きそうです」
ト言って、猛者を口の中へ吸い込んでしまいました。
続いて衝立を吸い込んだところで、最初の若者が目を覚ましまして。
「これはどうも、失礼しました。酒はいける口のつもりでしたが、疲れていたのかもしれません。いや、この娘を呼び出しておいてよかった。きっと退屈にはさせなかったと思います。日も暮れてまいりましたので、今日はこれでおいとまいたします」
そう言って、若者は若い娘を口の中へ吸い込みました。
酒や料理を引き出しにしまい、この箱もまた吸い込みましたが。
銅の盆を一枚だけ残しまして、それを許彦に渡しました。
「お礼というほどの品でもございませんが、ぜひ受け取ってください」
許彦が盆に目を落とした隙に、若者はどこへともなく消えていました。
残された老人は手にした銅の盆を見つめまして。
つい溜息をつくように、ふーっと息を吐きましたが。
酒肴はもちろん、美しい女も出てこない。
それでも老人は、銅の盆を大事そうに抱えて、山を降りていったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(六朝期ノ志怪小説「続斉諧記」中ノ一遍『陽羨鵝籠記』ヨリ。井原西鶴「西鶴諸国ばなし」『残るものとて金の鍋』ノ原拠ト云フ)