こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。
摂津国に非常に年老いた僧がございました。
九十を超えてもなお、仏道修行に励んでおります。
いつもじっと目をつぶって、ぶつぶつと経を読んでいる。
ある時、客人が「海賊に遭いました」と言うのを聞きまして。
この僧が目をつぶったまま答えますことには、
「私も若いころには、そんなことがございました。いや、襲われる方ではなくて、襲う方でございましたがな」
トこともなげに言う。
客人はびっくりして、
「一体どういうわけで」
ト尋ねますト、老僧は昔語りを始めました。
若かりし頃、老僧は淡路六郎と名乗る海賊でございました。
ある時、安芸のあたりの島に停泊しておりますト。
一艘の船が六郎らの船の方へ漕ぎ寄せてまいりました。
若い男の姿が見えましたが、それが船主のようでございます。
覗き見ると、荷をたくさん積んではいるようですが。
貴人らしき若い男の他には、下人と女房らが二、三人ずついるばかり。
なんとも頼りない船でございます。
ただ、屋形の上に若い僧がおり、ずっと経を読み続けているのが妙ではある。
そんな船が、まるで襲ってくれとでも言うかのように。
六郎らの船の後を、どこまでもどこまでもついてきます。
こちらの船が下ればともに下り、島に寄せればともに寄せる。
六郎は妙に思い、つけてくる船に向かって呼びかけてみた。
「おい、お前たち。どうして俺の船をつけまわすのだ」
するト、先ほどの主人らしき若い男が、不安げな声で答えました。
「周防から京へのぼる船でございます。何分、不案内な海路でございますから、どうかご同行させていただきたいと思っております」
鴨が葱を背負ってきたとは、まさにこのことで。
六郎とその手下たちは、若い男の懇願がおかしくてたまらない。
島に船を寄せますト、向こうの船に全員で飛び乗った。
ところが、船中の者たちはまるで抗おうといたしません。
積み荷のことははなから諦めているようで、じっと黙って見ております。
あまりにあっけないので、六郎はかえって腹が立ちまして。
人間も売れば金になるト、手下たちが惜しがるのにも耳を貸さず。
乗っていた男女をみな海中に放り込ませました。
最後に残ったのは、船主の若い男と、屋形の上の僧ばかり。
若い男は手をすりあわせ、大粒の涙を流しながら命乞いをする。
「積み荷は惜しくありません。すべて差し上げますから、何卒、命ばかりはお助けください」
積み荷は無論、すべて奪って去るのが海賊です。
殊勝な言葉がかえって六郎の気を逆撫でする。
「放り込め」
ト、六郎は手下に命じました。
手下たちが襲いかかる。
若い男が悲鳴を上げる。
ト、そこに割って入った声がある。
「おやめなさい。必ずや後悔しますぞ」
見るト、屋形の上に座った若い僧でございます。
諭すように六郎をじっと見据えておりました。
「おい、さっさとこの若いのを片付けろ。その後はあの坊主だ」
手下たちが若い男を抱きかかえて海に放り投げますト。
男は最期までじたばたともがき苦しみながら。
やがて水の底へと沈んでいってしまいました。
「引き摺り下ろせ」
六郎の叫び声で、手下たちが一斉に屋形の上に登っていく。
この僧は若い男と違い、まったく命乞いをいたしません。
「無駄です。おやめなさい。死ねるものなら、私だってとっくに死んでいる」
手下たちは僧の言葉を無視して、前後左右から羽交い締めにするト。
せえのでドボンと投げ込んだ。
僧は投げ込まれた勢いと衣の重さとで、あぶくだけを残して沈んでいきましたが。
やがて、しぶきも上げずにすーっと浮かび上がってまいりました。
結跏趺坐の姿勢を乱さずに、じっと六郎を見据えている。
「無駄だと言ったでしょう」
その眼差しは恨むでもなく、責めるでもなく。
ただ淡々ト訴えかけているのが、六郎をぞっとさせました。
――チョット、一息つきまして。