こんな話がございます。
享保の頃。
日本橋新材木町に軒を連ねる材木問屋のうちの一軒に。
白子屋という大店がございました。
この店に、江戸中で評判の美人がおりましたが。
それが、名をお熊ト申す、一家の一人娘でございます。
年はこの時、二十三でございました。
大店の一人娘で、かつ大層な美人ときておりますから。
誰が白子屋の富とお熊の美貌を一手に収めるのか。
つまり、誰が白子屋の婿養子に収まるのかト。
そんな話題が、長らく江戸中を賑わせておりました。
それが、五年前、お熊十八の年に決着がつきまして。
白子屋の婿として迎えられたのは、又四郎ト申す地味な四十男でございます。
さて、この白子屋の身代が大きく傾いたことがございましたが。
それがほかでもなく、又四郎が婿入りする前後のことでございました。
お熊にはまるで姉妹のようだと評される母親がおりました。
名をお常ト申し、年は四十を過ぎておりますが。
若い時はさぞやト思わせる器量の持ち主で。
この母娘の何がそんなに似ているのかト申しますト。
器量も勿論でございますが、何よりも母娘揃っての派手好きでございます。
流行りの着物、櫛、笄のたぐいは勿論のこと。
それらで着飾って、物見遊山、遊興、酒宴の日々を送っている。
昨日は上野の花、今日は芝居見物、明日は両国で夕涼み。
結構なご身分でございます。
さらに母のお常には若い情夫がおりました。
清三郎ト申す、町内周りの髪結いで。
主人の庄三郎は、これも婿養子でございますから。
商売も家計も、先代の娘である妻のお常に任せている。
妻子揃っての浪費も、妻に若い情夫のあることも知りません。
主人がこんな有様では、先は見えているというものでございましょう。
いつしか借金がかさむ、取引先からは愛想を尽かされる。
こうして、白子屋の身代はまたたく間に傾いていきました。
庄三郎は店主とはいえ、材木問屋の商売はまるで素人でございます。
お常が遊興を続けるためには、自分でなんとかしないといけません。
方々に借金を頼みますが、すでに悪い噂が広まりきっている。
そこで目をつけましたのが、娘の美貌でございました。
お常はお熊の評判を利用して、持参金付きの婿を迎えようと考えたのでございます。
その話が広まるや、江戸中から数多の男が名乗りを上げる。
こうなると、情勢は一気にお常の意のままになる。
男たちの中からお常が誰を選んだかト申しますト。
それが、大伝馬町の地主弥太郎の手代、又四郎でございました。
主人の弥太郎は財産家ですから、裏心などありません。
白子屋に対する全くの慈悲心から、五百両の持参金を出すト申し出まして。
それがお常には決め手となりました。
ところが、ここでひとつ問題となりましたのが。
当のお熊には想う男がすでにある。
忠八ト申す、店の手代でございます。
古株の下女、お久の取り持ちで以前から深い仲となっておりまして。
末は夫婦と言い交わしていたほど、強い絆で結ばれておりました。
お熊と忠八は駆け落ちも考えましたが。
結局、母お常の説得に折れまして。
家の事情を呑み、お熊が婿を迎えることになった。
こうして、お熊は泣く泣く、又四郎と祝言を上げました。
又四郎の持参金のおかげで、傾きかけていた白子屋は息を吹き返す。
再び元の大店の威厳を取り戻しまして。
一時見放されていた取引先も、続々と戻ってまいりました。
とは言え男女の仲というものは、一度結ばれるトそう簡単には解かれないものでございます。
お熊と手代の忠八は、その後も密通を繰り返しておりました。
娘に無理を強いた手前もございますから、お常も見て見ぬふりをする。
金さえ入ればト、もはや又四郎に気を遣うこともない。
又四郎は真面目一徹の男で、働き者でございます。
ところが、お熊は押し付けられた又四郎が嫌で嫌でたまらない。
一緒にいるのも嫌、ちらっと顔を見るのも嫌。
一方の母お常は、いまだに浪費癖がまるでやみません。
もとより、持参金のほうが目当てでございます。
用の済んだ又四郎は、気質が真面目な分だけ目障りに見える。
そこで、姉妹のようだと評された、母と娘の思惑が合致しまして。
又四郎を追いだそうという話が、自然と二人の間に持ち上がる。
これが後に多数の刑死者を出す事件へと発展いたします。
――チョット、一息つきまして。