どこまでお話しましたか。
そうそう、火種を守る役目を任された嫁が、心配のあまりかえって火種をみずから消してしまったところまでで――。
焦げ臭さの残る囲炉裏の間。
床も壁も水浸しでございます。
夫や姑が気づいて起きてこないのが、不思議なくらいで。
外でしんしんと雪が降り続けるのが、分かるほどの静けさの中――。
嫁は囲炉裏の前に這いつくばったまま。
がっくりト頭を垂れまして。
しばらく、うなだれておりましたが。
――ダメだ。やっぱり里へ帰ろう。
夫には悪いが、このままこの家に残る気にはなれません。
そう決めるト、善は急げでございますから。
とりあえず身の回りのものを荷にまとめまして。
逃げるように雪降る夜道へ出て行きました。
ザクッザクッと、深い雪を踏みしめながら。
女は婚家を離れ、実家へ向かう道を急ぐ。
ト、一町も行かぬうちに――。
向こうから人の気配が近づいてくるのに気がついた。
ザクッ、ザクッ、ザクッ――。
ザクッ、ザクッ、ザクッ――。
足音が徐々にこちらへ近づいてくる。
音から察するに、相当な人数の行列のようでございます。
次第に、松明の火のようなものが、ほのかに見えてまいりました。
――そうだ。
ト、それを見て、女は思いつきました。
――火種を借りよう。
好きで一緒になった夫婦です。
確かに姑は厳しすぎるかもしれない。
火種を守れと言われた晩に、早速消してしまったことを。
いつまでもくどくどと言われるかもしれない。
それでも、やはり夫を置いて里へ帰るのは気が進みません。
なんとかなるなら、なんとかしたい。
そう考えていた矢先でございましたから。
女にとっては、おあつらえ向きの行列に感じられました。
女は、頭に雪を積もらせて。
その隊列がやってくるのを路端で待ち続けている。
――もうすぐだ。――もうすぐ。
ようやく、先頭で松明を掲げる男の顔がぼんやりト見えましたが。
それを見て、女は腰を抜かさんばかりに驚いた。
男の顔には、目鼻も口も耳もない。
ただ、羽織袴に髷を綺麗に結っているのが分かるばかり。
その顔のない男が、訝しそうな声音で女に訊いた。
「おお、こんな夜中に雪ン中で何してる」
どこかで聞いたような声ではある。
女はもう逃げ出したいような思いではありましたが。
そのなんとなく懐かしい声に、ふとすがりたいような気になりまして。
ここまでの経緯を正直に話し、
「火種を貸しておくんなまし」
ト、顔のない男に申し入れた。
男は、
「そんなことなら、わけはない。しかし、こちらにも条件があるぞィ」
ト、女に言いました。
「俺らは今から、焼き場に行かねばならねえ。しかし、この雪でみんな疲れてしまったから、ちょっと休ませてもらいてえ。いや、みんなを家にあげてくれと言うのではねえぞ。ちょっと、あれを朝まで預かってくれねえか。俺らはそこらの木陰で勝手に休むから」
そう言って、指し示した方を見てみますト。
男の後ろに並んだ隊列の真ん中辺りに。
棺桶らしきものが、数人の男に担がれていた。
「お、お弔いでございますか」
女はびっくりして訊きました。
「ああ、そうだ。棺桶を座敷で預かってくれるなら、火種を貸してやってもいい」
目の前にいるのは、顔のない男でございます。
それが、誰のものかも分からない棺桶を家で預かれと言っている。
辺りは一面の雪景色。
月はどこにも見えません。
まともな女なら、とっくに逃げ出しているところでございましょうが。
このとき、女はすでに正気とはいえませんでしたので。
藁をも掴む思いで、頷きますト。
「承知いたしました」
ト、答えました。
それを聞いて、顔のない男が指示を出しまして。
隊列が棺桶を女の婚家の奥座敷へ運びこむ。
種火も顔のない男がつけてくれまして。
用が済むト、一行は言葉通り、すぐに外へ出て行った。
嫁は狐につままれたように、奥座敷にしばらく座り込んでおりましたが。
ふと、気がついてみれば、誰も居ない部屋に棺桶が一つと自分がいるばかり。
それも誰の死骸かも分かりません。
こんなところを姑に見られたらどうしようか。
そんな不安がよぎりましたが。
そんなことよりもやはり、素性の知れぬ死人と一緒にいることが気味が悪い。
夫も姑も、いびき一つ聞こえてこない。
外で雪の降る音のほうが、響くのではないかというほどで。
葬列の者たちも、どこに行ったのか物音一ついたしません。
その時――。
メリッ、メリッ、メリメリッ――。
棺桶の蓋が、内側から少しずつ開く音がする。
嫁はゾッとして、畳に後ろ手をついたまま、後ずさりする。
しかし、姑に知られてはならないとの思いから、声を上げることも出来ません。
蓋の内側から、白い手が一本、二本。
それが蓋を押し上げて、頭をにゅっと突き出した。
嫁は堪えきれなくなって、ついに悲鳴を上げました。
同時にどこかで一番鶏の甲高い鳴き声。
朝が来たようでございます。
悲鳴を聞いて、夫が駆けつける。
妻を抱きかかえますが、気を失いかけている。
雨戸を開けて、陽の光を入れますト。
二人の前にやはり棺桶がある。
半身を乗り出したまま、ぐったりとしているのは――。
なんと、姑の亡骸でございました。
経帷子に、白い頭巾。
全くの死に装束でございます。
「大丈夫だ。血迷って出てきたんだろうが、もう朝だ。今のうちにまた蓋を閉めて、さっさと焼き場へ運び込んでしまえばいい」
夫は、妻を安心させるようにそう言うト、手際よく亡骸を棺桶に納め直しました。
「あなた、お義母さんは――」
「心配するな。俺とお前しか知らないことだ。昨日の通夜の時だって、誰も疑いはしなかったろう」
「昨日の通夜ですって」
妻は、何のことだか分からず、夫に訊き返した。
「さっきまで、村の衆も坊さんもここにいたでねえか。大丈夫だ。誰もお前のことなど疑ってはいなかった。しかし、大変な元日になってしまったな」
大歳の晩には姑は死んでいた。
すると、火種を守れと言ったのは――。
囲炉裏に火はありました。
しかし、炭は大方が湿っているようでございました。
破れ障子には焦げた跡が残っている。
それ以来、夫婦は表向き、何事もなかったかのように、つつがなく暮らしましたが。
妻は、殺した覚えのない姑から、常に見張られているような心持ちになり。
姑にいびられていた時よりも、遥かに気を病むようになったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(信州其他ノ民話ヨリ)