こんな話がございます。
江戸麹町に中田屋ト申す店がございまして。
そこに、伝蔵ト申す篤実者の奉公人がございました。
真面目な男ですので、主人も非常に目にかけて、かわいがっておりましたが。
篤実者だからト、色気がないかト申せば、そんなことはございません。
いつしか、主人の娘、おみつと深い仲になってしまった。
しかも間の悪いことには、おみつがやがて伝蔵の胤を宿してしまいまして。
追い詰められた二人は、以前奉公していた吉兵衛という男を頼っていく。
吉兵衛から見れば無分別な二人ではございますが。
そこは旧主の娘御とその情人でございますから。
二人の代わりに、中田屋の主人に詫びを入れに行ってやりました。
ところが、父親は事態のゆゆしきことを知って、すでに激怒している。
「七度転生しようと、もう親子ではない。二度と帰参は許さぬ」
ト、まるで取り付く島もない。
ところが、母親の方は、これはやはり大事な娘でございますから。
「陰ながら食い扶持を送るから、無事でいられるようにしてやっておくれ」
ト、吉兵衛にこっそりと頼みます。
こうして伝蔵おみつの二人は、吉兵衛の口利きによりまして。
京橋五郎兵衛町に所帯を持つことになりました。
おみつは、大きな腹を抱えながら、お針仕事などを請け負って小金を稼ぐ。
伝蔵は近所の手紙使いや、頼まれごとなどを引き受けまして。
二人はどうにかこうにか細々とやっておりました。
しかし、おみつもそのうちいつかは、身二つに分かれます。
この程度の稼ぎでは、到底養うことは出来ません。
生まれ来る子を思い、二人は弱り果てておりましたが。
ちょうどそこへ、良い働き口が伝蔵に舞い込んだ。
芸州松平家の足軽部屋に、炊事方として雇われている男がございましたが。
その男が、親の病気危篤のため帰国することになったという。
その後釜に伝蔵はうまく滑り込んだのでございます。
伝蔵は妻のため、子のため、身を粉にして働きます。
やがて、足軽たちはお殿様の御帰国にお供して、江戸の屋敷を引き上げる。
給金はもらいますが、人がいなければやることがございません。
ところが、ここに病気のために江戸に残った足軽が二人おりまして。
伝蔵はその二人のために、毎日せっせと屋敷に通ってくる。
その甲斐がございましたか、ひとりは快癒いたしまして国許へ帰りました。
しかし、高田大八郎ト申す足軽は、なかなか病が良くなりません。
それもそのはずでございまして、この男の病ト申すは、元々仮病でございます。
以前から品行がすこぶる悪く、いつも女郎遊びに耽っているような男でございます。
方々へ借金をこしらえて、すでに首が回らなくなっていた。
霊岸島川口町に伊勢屋重助ト申す金貸しがございます。
大八郎は、同僚の頭(かしら)を勝手に請け人にして、金十両を借りました。
一文も返せないうちに、殿様御帰国となりまして。
露見してはまずいト、仮病を使ってまで居残ったのでございます。
大八郎もさすがに焦って、なんとか金の工面をつけようとする。
ところが、金というものは、そう簡単に回ってくるものではございません。
まるで目処が立たないまま、返済期限を三月も過ぎた。
その間、利子すら入れていない。
大八郎は、重助の店に出向きまして、
「頼む。もうしばらく待ってくれ。待ってくれれば何とかする」
ト、泣きを入れましたが、もはや重助もさすがに承知するわけにいきません。
「今日という今日は、きっと払っていただきます。もうこれだけ待ってのですから、いくらお頼みされても首を縦に振るわけには参りません」
重助も悪い男ではないが、そう答えるより他にない。
しかし、大八郎は元より身持ちの悪い男でございますから。
この返答に大いに腹を立てまして。
鼻息を荒げながら、屋敷の足軽部屋へ戻ってきた。
そこへ追いすがるようにして、重助がやってまいりました。
「手前どもでも、今日返済していただかないと、首が回らないのでございます。どうか身の回りの品を質に入れるなり、親類縁者にご無心なされるなりして、お金を返してくださいまし」
重助も弱り切った表情で懇願する。
大八郎はそれを見て、いよいよ観念したらしく、
「そうか。分かった。では、返してやるからついてこい」
ト、部屋に上がっていきました。
重助はホッと一息ついて、玄関から部屋に上がる。
中へ入ろうとした瞬間、突然、大八郎が振り返った。
「あッ」
ト、避ける間もなく、肩先から乳にかけて袈裟懸けに斬りつける。
返す刀で、重助の真っ白い首を、バッサリと打ち落として殺してしまった。
――チョット、一息つきまして。