こんな話がございます。
下総国、臼井の四日市ト申す地へ。
諸国行脚の僧が通りかかりました。
時すでに、夕闇迫る頃となりましたので。
付近の民家に一晩の宿を乞おうト思いまして。
ある家の門をたたきますト。
中から出てきたのは、陰鬱な表情の若い男で。
僧が事情を話して宿を乞いますト。
いかにも迷惑そうな表情で、首を横に振りました。
「申し訳ないが、他をあたってくだされ」
ト、沈んだ声で言うか言わぬかのうちに。
もう戸を閉めようといたします。
「そういうことなら」
ト、僧が立ち去ろうといたしますト。
ふと、思い出したように戸が再び開きまして。
「なるほど。ひょっとすると――」
ナドとつぶやきながら、件の若者が僧を呼び止める。
「お待ちくだされ。かようにむさ苦しいところですが、よろしければ是非」
ト、今度は向こうが乞うような顔つきをする。
こうして、僧は平六左衛門ト申す若人の家に泊まることとなりました。
その晩、僧は旅の疲れを癒やすことも知らず。
夜もすがら、熱心に法華経を誦んでおりましたが。
障子一枚隔てた隣の部屋から。
いつしか、人の声が聞こえてくるのが気になった。
「むく、むく――」
ト言って、しきりに呻いているようでございます。
先ほどの若い衆の声ではございません。
この家にはまだ他に、誰か家人がいる様子でございます。
僧は不思議に思いながら。
法華経を閉じて、灯火を消し。
床に入りますが、どうにも眠れない。
「むく、むく――」
ト、延々と繰り返される呻き声。
夜が明けるト、僧は主人の平六左衛門に、
「ご尊父が臥しておられるとはつゆ知らず。おっしゃってくだされば、他の家を当たりましたものを。大変なお邪魔をいたしました」
ト、ひらに詫び入りましたが。
それを聞いて、平六左衛門はやや面を伏せますト。
恥じ入った様子で、語り始めました。
「そのことでございます。実は、初めはそれがお恥ずかしく、よそをあたっていただこうと思っておりました。諸国行脚の僧はこの辺りをよく通りかかります。とは言え、ほとんどが食い詰め者の成れの果てで。ところが、御坊の尊顔を拝見いたしますと、実直な修行者らしきことが知れました。そこで、正直にお頼み申そうと、お引き止め申した次第でございます」
僧も何となく察するところがございまして。
「ご尊父のことですかな」
ト、水を向けてみますト。
「お察しのとおりでございます」
平六左衛門はそう言って頷きつつも、
「親父の腫れ物のことでお頼みがございます」
ト、返ってきたのは意外な一言で。
「十二年前からでございます。親父の両肩に腫れ物が一つずつございます。それがために、毎晩、親父は『むく、むく』とうなされ続けているのでございます」
憂いに満ちた言葉のその意味を、僧はにわかに呑み込めません。
――チョット、一息つきまして。