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妲己のお百(三)おきよの亡霊

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どこまでお話しましたか。
そうそう、おきよの亡霊のために零落した桑名屋徳兵衛に、お百が入れ知恵をして金を騙し取らせ、二人で江戸へ夜逃げをするところまでで――。

徳兵衛とお百の二人は、東海道を江戸を指して行きました。

悪事千里を走るトハ申しますが。
徳兵衛は小心者ですから、いつ追手に捕まるかト気が気でない。
それこそ千里馬にでもなって逃げて行きたい気分でございます。

一方のお百はト申しますト。
これは、千里の道も一歩からトいった気構えで。
物見遊山にでも出かけてきたように鷹揚と歩いていく。

泊まりを重ねて、三島の宿に差し掛かりました時。
宿場町の入り口にある庚申堂の前で、突然、徳兵衛の草鞋の緒が切れました。

徳兵衛はここへ来る途中で、葭簀っ張りの茶屋があったのを思い出しまして。

「あそこの婆さんが草鞋を売っていたのを見たから、少し戻って買ってくる。お前はゆっくり先へ行っていろ。すぐに戻ってくるから」

ト、お百をひとり先へ行かせて、自分は来た道を戻っていった。

お百は呑気なもので、富士を横目に見ながらのんびりと歩いていきます。

徳兵衛はすぐに取って返して、二人分の草鞋を買う。
そのまま、きびすを返してお百の後を追っていきましたが。

先ほどの庚申堂を通りすぎようという時でございます。
日はすでに傾いて、富士が赤く染まりかけている。
庚申堂の脇の大きな杉の木の下に。
こちらを覗きこむようにして立つ女乞食の小さな影。

「もし、旦那様――」

徳兵衛は急いでおります上に。
もはや道端で徳を施している余裕はございません。
黙って通りすぎようトいたしますト。

「旦那様。抱いてやってくださいませ。あなたの倅でございます」

その一言に、徳兵衛がドキッといたしまして。
思わず後ろを振り返りますト。

そこに立っていたのは、己が折檻して死なせた元の妻。
乞食に見えたのは、お百が着物を剥ぎ取り、襦袢一つで追い出したからでございます。

「どうか、抱いてやってくださいませ。あなたの倅でございます」

怨むでもなく憎むでもなく、ただ切なそうな声でこちらに迫ってくる。
その姿は、産褥死を遂げた時のまま、眼玉が力なく虚空を見つめている。

徳兵衛はもう生きた心地がしなくなりまして。
返事もせずにその場を走り去りました。

ようやく宿に着いて、お百が先に上がっていた座敷に転がり込みますト。

「何ですか、だらしのない。やましい思いがあるから、そんな幻を見るんですよ」

話を聞かされたお百が、呆れ果てたように言いました。
もっとも、心にやましいことがあるのは、お百も同じはずではございます。

「幽霊が怖くて後妻が務まりますか。これから江戸へ出て一旗揚げようと言う時に、なんて気の弱いことを言うんです」

お百は少しも物怖じいたしません。
それもそのはず、この女の体には、海坊主の怨念が入り込んでいる。
そもそもが、化け物の卸問屋のようなものでございます。

一方の徳兵衛は、毒婦にコロリと騙されるような純朴者ですから。
厠へ行っては、おきよが節穴から睨んでいたト騒ぎ。
風呂へ入っては、湯の底から赤子の泣き声が聞こえてくるト震えます。

こうして気を病んでいるうちに、寝付いてしまうようになり。
二人は宿屋にひと月、ふた月と足止めを食う。

三月ほど経って、ようやく宿を発ちましたが。
すでに療治や宿代などで、金はすっかり底をついている。




悪銭身につかずトハ、このことでございましょう。

二人は身に着けているものを、一枚一枚たけのこのように剥いて、金に替える。

こうしてなんとか旅を続けまして、やっとの思いで品川へ入りました。
新橋のたもとまでやってきた時には、すでに四ツ(午後十時)の鐘が響いていた。

そのうら寂しさに、徳兵衛はもう歩く気力も失ってしまいまして。
橋の欄干にもたれかかって、うなだれるように水の流れを眺めている。

悪盛んなる時は天に勝ち、天定まって人に勝つト申します。

今、徳兵衛は己がお百の毒牙に掛かって、愛妻を折檻した罪に思いを馳せている。

我が子を孕んだ妻を逆さ吊りに縛り上げ。
裸同然で雪の中を出て行かせた、かつての己。
今思えば、とても人間の所業とは思えませんが。
事実、己の悪業には違いありません。

十万両にも及んだ桑名屋の身代が。
ひと月もかからずに失われたのも。
やはり天罰と考えるほかございません。

「なあ、お百」
「なんです」

声を振り絞るようにして問いかけた徳兵衛に対し。
毒婦のお百は、いらいらした口調で問い返す。

「人様を騙して持ち逃げした金まで、すっかり失った俺たちだ。右も左も分からぬ江戸の地で、生き恥をさらすかと思うと俺は辛い。いっそ、ここで死ぬのはどうだろう」

すると、お百は突然、キッと振り返り。

「私は嫌ですよ。死ぬなら一人でお死になさい。これ以上、他人を巻き込むんじゃありませんよ」

ト、己の所業は棚に上げる。

「しかし、お前――」

ト、夫婦で言い合っているところへ――。

小田原提灯の灯が、軽やかに弾みながら、こちらへ近づいてまいります。

徳兵衛はまた、先妻の霊が現れたかト、お百の後ろに思わず身を隠す。
お百は徳兵衛を振り払って、

「誰ですよ」

ト、提灯に向かって問い詰めますト。
灯りの向こうから、男の声が聞こえました。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ。いや、邪魔をしようと言うのじゃございません。私は美濃屋重兵衛と申す旅あきんどでございます。江戸へ帰る途中でございます」

ト、渋い声で穏やかに答えつつ、すっと二人の間に割って入ってくる。
時しも、欄干を乗り越えて身を投げようとしていた徳兵衛を。
後ろから羽交い締めにいたしました。

「旦那、早まっちゃいけません」

この時、重兵衛に命を救われたことによりまして。
徳兵衛はさらに呪われた運命をたどることになるという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(講談「秋田騒動 妲妃のお百」ヨリ)

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