こんな話がございます。
天竺の話でございます。
お釈迦様が悟りを開かれて間もないころのこと。
舎衛国(しゃえいこく)の波斯匿王(はしのくおう)が、これを耳聡く聞きつけまして。
「迦毘羅衛国(かぴらえいこく)は小国ながら、その一族は釈迦仏という仏を輩出した貴種である。釈迦族から妃を一人求めることにしよう」
ト、大臣に命じて釈迦族に通達させました。
釈迦族の者たちはこれを伝え聞きまして。
王や主だった大臣が集まって、討議をする。
釈迦族は釈迦族で、国は小国ながら誇り高い種族でございまして。
隣国の舎衛国は確かに大国には違いございませんが。
血統の上では、自身ら釈迦族が遥かに上と信じて疑っておりません。
舎衛国の王風情に、姫をくれてやる訳にはいかないと考えた。
しかし、一方で舎衛国は確かに大国でございます。
かてて加えて、波斯匿王は悪名高き暴君でもある。
もし、縁談を拒否して攻め込まれれば、小国の迦毘羅衛国はひとたまりもない。
誇り高き小国ゆえの葛藤に陥ってしまいました。
ここに、釈摩男(しゃくまなん)ト申す智慧第一の長老がございまして。
国の師として人々の崇敬を集めておりましたが。
釈摩男大師が、難航する議論に一つの答えを与えました。
「我が家で召し使っている下婢(はしため)の中に、容姿端麗なる異族の女が一人いる。これを王女と偽って、波斯匿王の妃として献上するのは如何か」
紛糾していた議論は、さすが智慧第一の釈摩男の提案によって、収拾する。
すぐに、件の下婢が王女らしい扮装を施されて、舎衛国へ送られていきました。
波斯匿王は迦毘羅衛国から偽の王女を受け取りますト。
「なるほど。容姿の美麗端正なること、あまた並びいる我が妃らに比べても、勝るとは言えども劣らない。さすがは釈迦仏の一族よ」
ト、これをおおいに寵愛いたしまして。
末利夫人(まりぶにん)トの名を与えました。
やがて末利夫人は懐妊しまして。
男の子を一人産みました。
名を毘瑠璃(びるり)王子ト申します。
王子は、幼い頃から聡明でございまして。
穏やかすぎるきらいのある兄、祇陀(ぎた)太子よりも将来を嘱望しておりました。
毘瑠璃王子は八歳になりますト、王に呼び出されてこう言い渡されました。
「迦毘羅衛国は汝が母の本国である。聞けば、釈摩男という者が智慧に優れ、釈迦族の子弟らはみな、この者から教えを受けて育っているという。汝もまた釈迦族の血を引く者なれば、行って教えを受けよ」
王子は学友である大臣の息子、好苦(こうく)トともに故郷を出立いたしまして。
母の本国である隣国の迦毘羅衛国へやってくる。
こうして、釈摩男のもとで勉学に励むこととなりましたが。
迦毘羅衛国の都には、完成したばかりの大きな学堂がひとつありまして。
ここが釈迦族の子弟らが、釈摩男から教えを受ける場所でございます。
中に入るト、釈摩男の大きな座が、一段高く備えられている。
それと向かい合うようにして、釈迦族の王族の子弟の座席が設けられている。
獅子の装飾が施され、貴種のための神聖な座であることが示されている。
その後ろに、その他の人々のための座席が、少し離れて設けられている。
毘瑠璃王子は、もちろん自分も釈迦族の王家の血を引いていると信じておりますから。
疑うことなく、獅子の座に就こうといたしますト。
それを見た釈迦族の子弟が、一斉にいきり立ちました。
実は、釈迦族の子弟たちは、今まで声には出しませんでしたが。
みな、毘瑠璃王子が異族の下婢の子であることを、以前から知っておりました。
「待てッ」
ト、一人が乱暴に肩を掴む。
驚いたのは毘瑠璃王子でございます。
「何をするんだい」
「今まで黙って見過ごしてきたが、もう我慢ならない。この獅子の座は、尊い神々に連なる釈迦族の王族だけが座ることのできる、神聖な座だ。おまえのような、下婢の子に穢されてたまるかッ」
ト言って、胸を突き飛ばされた。
不意打ちを食らった毘瑠璃王子は、床に体をしこたま打ち付けました。
体中に鈍痛が走りましたが、それより痛んだのは、王子の胸で。
尊い釈迦仏と同じ血を引いた貴種であるト。
これまで信じて疑わなかったみずからが。
まさか下婢の子であろうとは。
まったく思いもしませんでしたから。
まずは己の惨めさを恨みましたが。
徐々にその恨みは釈迦族へト向けられていき。
故国からともにやってきた学友の好苦に。
みずからの心情をこう吐露いたしました。
「今日、あの獅子の座から引きずり降ろされたことを、絶対に故国の人たちに伝えてはいけないよ。いつか国に帰って王になって、釈迦族を一人残さず滅ぼしてやる。それまで、決して誰にも言ってはいけないよ」
――チョット、一息つきまして。