どこまでお話しましたか。
そうそう、迦毘羅衛国に学びにやってきた舎衛国の毘瑠璃王子が、みずからの出自を知らされて、釈迦族に激しい恨みを抱くところまでで――。
釈迦族から受けた恥辱は、そのまま釈迦族への怨念となって、少年の心を蝕んでゆく。
毘瑠璃王子は、行き場のない憎悪を煮えたぎらせながら、徐々に長じていきました。
それは本国に帰っても変わることはございませんで。
父の波斯匿王が、その変貌ぶりに驚いたほどでございます。
特に驚かされたのは、生母、末利夫人に対するあからさまな憎しみで。
母に悪態をつき続ける我が子の姿に、さしもの暴君も手を焼きました。
やがて、父王が老い、毘瑠璃王子が壮健な若者に成長しますト。
老父の不在の隙を突いて、毘瑠璃王子は王位を簒奪いたしました。
新王となった毘瑠璃王は、好苦を大臣に任命しまして。
「ついにその時が来た。俺は今から釈迦族を皆殺しにしてやりに行く。準備をせよ」
ト、命じました。
一方、お釈迦様の高弟、目連がこの噂を耳にしまして。
急ぎ、仏のもとへこのことを伝えに行きますト。
釈尊は、実に落ち着いた様子でこの話を聞いておりましたが。
みなまで聞き終わると、ただ一言、
「殺されるべき因縁に、私の力が及ぶことはない」
ト、答えて、一人その場を立ち去りました。
釈尊は、毘瑠璃王が迦毘羅衛国に向けて進軍する路上に、待ち受ける。
そこへ、幾多の軍勢を率いた毘瑠璃王がやってまいりました。
見ると、はるか遠くの枯木の根本に、尊い釈迦仏が座している。
天竺の夏の激しい日差しが、枯れ木の枝の間から、仏の頭上に照りつけている。
毘瑠璃王は、釈尊のもとに近づくト、一礼した上で問いました。
「仏よ。何ゆえに枯れ木の下に座したまえるか」
すると、釈尊は、静かに答えました。
「王よ。枯れゆく木でも、その陰は涼しいものでございます」
毘瑠璃王はうッと言葉に詰まり、ただ先程の問いを繰り返しました。
「仏よ。何ゆえに枯れ木の下に座したまえるか」
「王よ。枯れゆく木でも、その陰は涼しいものでございます」
王には何となく、その言わんとするところが分かる気がする。
だが、今さら己の感情を押さえ込むこともできません。
「仏よ。何ゆえに枯れ木の下に座したまえるか」
「王よ。枯れゆく木でも、その陰は涼しいものでございます」
いつまでも変わることのないその返答を聞きまして。
毘瑠璃王は、みずからの心に巣食う鬼が。
もはや御し得ないものであることを悟りました。
王は、黙って釈尊の脇を通り過ぎていく。
大軍が静かに付き従っていきます。
仏はもう何も言いません。
俗に「仏の顔も三度まで」ト申しますが。
これがその由来でございます。
若き暴君に率いられた舎衛国軍は、大音を発しながら迦毘羅衛国に攻め入っていく。
これを知った釈摩男は、攻め込んできた毘瑠璃王に向かって叫びました。
「王よ。もはや、攻め入るなとは申しません。ただ、私が今から池の中に潜っている間だけ、国民が逃げるのを見逃してはくださいませぬか」
かつての師が、地に額を押し付けて懇願する姿に、毘瑠璃王は困惑いたしまして。
「師よ。一度だけ、そのお言葉に従いましょう」
ト、この申し出を受け入れましたが。
池に飛び込んだ釈摩男師は、その後、いつまで待っても、水面に顔を出しません。
苛立った王が、家来を池に潜らせてみますト。
師は水草を髪に結びつけて死んでいた。
その殊勝な死に様に。
若者の遣る方ない憤激は。
いかんともしがたく、解き放たれてしまいまして。
逃げた者を含めて、この国の民を一人残らず捕らえますト。
ついに幼き日の誓い通り、釈迦族を殲滅させてしまいました。
毘瑠璃王は、自身の怒りを鼓舞するようにして、国へ帰っていく。
その勢いを持って、本来、王位を継ぐはずだった、兄の祇陀太子をも殺害いたしました。
この祇陀太子が生前、釈尊に寄進したのが、かの祇園精舎でございます。
毘瑠璃王は、釈迦族を滅ぼしてから七日後の晩。
勝利の宴の席に落ちた雷に打たれて死にました。
その死に顔からは、すでに恨みも憎しみも消え。
どこか虚しさと諦めの色が漂っていたと申します。
雷雨は宴席のあった川端に、鉄砲水を引き起こし。
毘瑠璃王の遺骸は海にまで流されて、群れなす魚の餌食となったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻二第二十八『流離王殺釈種語』ヨリ)