こんな話がございます。
よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。
女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。
もっとも厳しいのはどこかと申しますト。
それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。
その関所の裏山に。
お玉ヶ池ト申す池がございまして。
元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。
どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。
その由来をこれからお話しいたします。
元来、関所と申しますものは。
手形さえあれば誰でも通ることができますが。
こと、女に関しますト。
それがそうもいかないのが難しいところで。
男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。
これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。
ところが、女には女手形トいうものがございまして。
これを誰が書いてくれるかと申しますト。
幕府のお留守居役でございます。
――急に敷居が高くなりますナ。
これはどういうわけかト申しますト。
江戸には諸侯の妻子が、それぞれの江戸屋敷に住まっておりますから。
これが密かに江戸を抜け出して、本国と悪巧みを働かれては困ります。
さらに申せば、高貴な女が高貴な装いで関所を抜けるとは限りません。
そこで、女が関所を通るとなるト。
身分の上下を問いませんで。
みな、厳重な取り調べの上に。
ようやく通過を許されます。
わたくしは女に生まれたことがございませんから。
その心情はにわかに測りかねますが。
女にとっての最大の恥辱と申しますト。
人見女の改メだそうでございまして。
関所には必ず人見女ト申す婆ァが待機しております。
女が関所にやってくるト、この婆ァが隅から隅まで検分する。
結い髪を解かれて、何か隠していないか調べられるくらいは、まだしもで。
帯まで解かれ、着物、襦袢の中までジロジロと見られます。
それが、見られるだけなら、やはりまだしもでして。
まだどこかに何かを隠しているかもしれないト。
ごつごつとした手で脇や尻の間などを改められる。
それで何も出てこなければ、晴れてお許しと相成るという。
いくら同じ女が相手とは言え。
この屈辱に耐えられる女は、よほど度胸が据わっている。
関所を越えるや、身を投げてしまう女も多々あると言われるほどでございます。
すると、こうした話はすぐに尾鰭が付く。
箱根を越えようという女たちは、みな関所を地獄の一丁目くらいに恐れている。
腕の一本も切り落とされて、通行料に持っていかれるト思う女もあるくらい。
さて、ここに、お玉、お杉ト申す女芸人がおりまして。
ふたりとも、京に近い大原の百姓の家の出でございます。
平年は正月になると、二人で鳥追いをやって小金を稼いでおりましたが。
近頃、上方ではあまりこれが流行りませんで。
旅の一座の仲間に入り、江戸へ下ってまいったのが前年の暮れ。
鳥追いはご存知でしょうナ。
正月になると、笠をかぶった女二人が門付けに回って来るアレで。
一人が三味線を弾き、一人が唄や踊りで新年を言祝(ことほ)ぎます。
元は文字通り、百姓の子供らが田畑の鳥を追って唄ったのが始まりだそうで。
こうして小正月辺りまで、各戸を回って小金を稼ぎますと。
やがてそれぞれの故郷へ帰っていきますが。
二人は初めての江戸暮らしで、ただでさえ心細い思いをしていたところへ。
ここからは奥州へ向かう旅の一座と離れ離れになりまして。
二人で大原へ帰ります。
途中、例の箱根関所を通って帰らなければなりません。
「お杉姉さん。箱根の関所は、通行料に腕を一本もがれるそうだよ」
お玉が震え上がって、年配のお杉を見上げます。
「あんたはあんまり怖がり過ぎだよ。来たときも通ったが、お前も私も五体満足じゃないか」
「でも、それは外から江戸へ入る女だからでしょう」
お玉はまだ十六の小娘です。
対してお杉は二人の子持ちの三十女。
肝の据わり方がまるで違う。
明日は箱根越えという日の晩でございます。
ここは小田原の安旅籠。
お杉が呑気にベベンと、撥を叩く。
相部屋の女旅人たちが、「よッ」と囃し立てましたが。
お玉は燈籠の火に照らし出された女たちが。
明日には片腕になっているかト思うト気が気でない。
――チョット、一息つきまして。