こんな話がございます。
よく、後に夫婦となる男女は、小指に赤い糸が結ばれているナドと申しますナ。
これはもとは唐土(もろこし)の言い伝えだそうでございまして。
月下老人ト申す神が、それをつかさどっていると信じられておりますが。
かの国では、足首に赤い縄を巻きつけることになっているト申します。
これでは歩きづらくって仕方がない。
本朝では、天正から元禄頃にかけまして。
赤い打ち帯が流行ったことがございます。
これは、赤い組紐を帯にしたものを、男の家から許嫁に送ったもので。
もちろん赤い糸に掛けて、縁結びの意が込められているものでございます。
さて、時は元亀天正の頃。
群雄割拠した戦国の時代の話でございます。
越前国は敦賀の津に、浜田の長八ト申す長者がおりました。
この者には幼い娘が二人おりまして。
朗らかな姉娘は、その名をお朝(あさ)。
やや陰にこもるところのある妹娘は、名をお夕(ゆう)ト申しましたが。
その家の隣に、若林長門守の郎党で、檜垣の平太ト申す者が住んでおりました。
もうすでに武門を離れ、商いをして世を暮らしておりました。
この平太には、平次ト申す倅がございまして。
平太と長八が誼を通じておりますうちに。
長八の姉娘お朝を、平次の許嫁とすることに話がまとまった。
この時に、平太の家からお朝に贈られたのが、件の赤い打ち帯でございます。
それから月日は流れまして。
時は天正三年の秋。
平太の旧主、若林長門守は、同じ越前国のさる山城に立てこもっておりましたが。
そこへ攻め込んできたのが、織田信長の軍勢でございます。
平太はその知らせを聞きますト。
ためらうことなく、敦賀を去ることに決めました。
己はすでに商人の身でございます。
いくら旧主の危機とはいえ、負け戦となることは目に見えている。
後々、信長から郎党であることを咎められるのではト。
我が身の危機を案じたのでございます。
平太は妻や倅の平次を連れて、京の縁戚のもとへ逃げていきました。
戦いは案の定、信長軍の圧勝に終わる。
信長は山林に逃げ込んだ越前衆を一人残らず探し出し。
妻子眷属までも合わせて、首を刎ねたト申します。
その数なんと一万余り。
イヤ、先見の明が如何に大事か知れますナ。
こうなると、平太は恐ろしくて、とても敦賀へは戻れない。
魔の手の及ばぬ京の都で、安楽の日々を過ごしておりますそのうちに。
はや、五年の月日が流れました。
敦賀の浜田長八は、檜垣の平太の帰りを待ちわびておりましたが。
その間、一通の便りも寄越してこない。
人の情けはつれなきものよト、嘆息の日々を送っている。
憂いているのは、長八ひとりではございません。
平太の倅の許嫁とされた姉娘のお朝。
この時、すでに十九の美しい娘に成長しておりまして。
その器量に、縁談が数多舞い込みますが。
お朝は夫となるべき平次を待つ身でございますから。
どんな男に言い寄られても、決して首を縦には振りません。
平次恋しやト、涙と物思いに沈む日々でございます。
その憂いのあまりに、ついに病の床に伏すようになりまして。
それから半年後、朝露が消え入るように、短い生を終えました。
二親は可愛い娘の死に、それはそれは嘆き悲しみましたが。
いつまでも泣いてばかりはいられませんので。
小塩の地のさる寺に、娘の亡骸を埋葬いたしました。
「お朝や、お前も悔しかろう。この打ち帯を黄泉の世界へ持ってお行き」
母親が、平次の家から贈られた打ち帯を取り出しまして。
死に装束の腰に巻いてやりました。
雪のような白帷子に、鮮血のごとき真紅の組紐。
こうしてお朝は棺に入り、冥府の人となりましたが。
長八夫婦が、ただひとつ腑に落ちませんことは。
娘の亡骸が、断末魔の苦しみを訴えるような表情をしていたことでございます。
とても物思いで死んだようには見えません。
――チョット、一息つきまして。