こんな話がございます。
唐土(もろこし)の話でございます。
魏呉蜀の三国鼎立時代を終わらせましたのは。
司馬炎が魏の元帝から禅譲を受けて建国した晋でございます。
その晋も、やがて夷族の匈奴に華北を追われまして。
都を洛陽から長安、さらに建業へと遷しました。
建業に遷ってより後を、俗に東晋ト申しますナ。
さて、この東晋の国に。
桓温(かんおん)ト申す軍人がございました。
東晋長年の悲願であった、北伐と洛陽奪還とを。
一時にせよ成し遂げた、国の大功労者でございます。
桓温はこの功績によりまして。
大司馬トいう軍人の長に任じられました。
勢いに乗じて、北府軍団および西府軍団と。
二つの強大な軍団を手中に収めまして。
東晋の実質的な権力者の地位に躍り出た。
我が日の本で申しますト。
さしずめ平清盛といったところでございましょう。
晩年には、幼い簡文帝をみずから擁立いたしまして。
さらには自身への禅定を迫るトいう暴挙に出た。
これは土壇場で幼帝が周囲の説得に応じまして。
拒否したため、失敗に終わりましたが。
当時、飛ぶ鳥も落とす勢いだったことは間違いない。
この桓温の晩年に起きた出来事でございます。
この時まさに、幼帝の擁立と自身への禅定を企てておりました。
その桓温のもとへ、ある日のこと。
ひとりの比丘尼が遠方よりわざわざ訪ねてきた。
尼僧は名こそ伝わっておりませんが。
才と徳を兼ね備えた仏道者として。
国中から崇敬を集めていたそうでございます。
年はまだ若く、三十過ぎで。
見目麗しく、色艶も良い女人でございましたが。
女人として見るのが、何か畏れ多く感じるほどに。
高い徳を備えた僧侶でございます。
桓温もこれを大いに歓迎する。
今、味方につけておけば、後々よい後ろ盾になる。
みずからの野望が叶った暁には、きっとこれを庇護し。
政(まつりごと)に際して、教えを請いたいト考えた。
尼僧の訪問は突然ではございましたが。
桓温にとっては、鴨が葱を背負ってきたようなもので。
比丘尼の方でも、桓温のもてなしを気に入ったのか。
長逗留をすることになりました。
桓温は息子の桓玄を呼び寄せて、ささやきます。
「倅よ、よいか。お前が将来跡を継ぐ時、きっとこの比丘尼の知遇が役に立つ」
「なるほど、なるほど」
取らぬ狸のなんとやらではございませんが。
もう倅に継がせることまで考えている親父も親父なら。
当然継ぐ気でいる呑気な倅も倅です。
比丘尼と桓温は、毎日のように。
政や国を取り巻く情勢、また幼い皇帝の健康などについて語り合う。
桓温は、熱心に耳を傾けてくれ、また意見もしてくれる比丘尼の反応から。
桓温の王者たる資質を認めてくれていると感じ、自信を得る。
ところが、ひとつ、ここに不可解なことがございまして。
とはいえ、比丘尼もまた女人であるがゆえに。
桓温も口に出すのがはばかられるのでございましたが。
それは、比丘尼の毎晩の風呂が、あまりに長いことでございました。
普通の人間なら、小半時(三十分)もあれば十分なものが。
この比丘尼の風呂は、毎晩一とき(二時間)以上かかります。
浴室から出て来るト、非常に憔悴しきった表情をしておりまして。
それが一晩寝ると、翌朝には気力みなぎった様子で現れる
その後はいつものように、暮方まで桓温と政談に耽ります。
桓温はその壮年男子の如き気力の源が。
件の長風呂にあるのではト考えまして。
非礼とは重々知りながらも。
風呂場での様子を覗き見ることにいたしました。
――チョット、一息つきまして。