こんな話がございます。
元朝の話でございます。
遼東の按察使を長く任された者に。
姚忠粛(ようちゅうしゅく)ト申す男がございました。
按察使トは何かと申しますト。
本朝で申すところのお奉行様で。
姚忠粛は、さながら大岡越前の如き名奉行。
――ならぬ名按察使でございます。
その配下には与力、同心の如き役人が。
あまた従っておりましたが。
どれもこれも傑物揃いで。
みなで姚の名裁きを支えておりましたが。
中でも丁欽(ていきん)ト申す者は。
その人並み外れた推察力で。
いつも同輩たちをあっと驚かせる。
いわば姚奉行の懐刀でございます。
さて、この丁欽でございますが。
近頃になって、妻を娶りました。
これがまた、ただの妻ではございません。
国に二人といないような、まさに女傑でございます。
容姿は非常な美人でございまして。
小柄ながら、なんとも言えない艶がある。
かてて加えて、聡明で。
才色兼備とはこのことでございます。
同輩たちはみな、羨望の眼差しで丁欽を見る。
己にもあんな嬶(かかあ)がいたならト。
力の到らぬ己の口実にする者もございます。
普段は厳しい鬼の上役の姚でしたが。
この縁談ばかりは、丁欽を手放しで褒めました。
この婚姻を境にして。
丁欽の運気はどんどん上昇する。
イヤ、運気とばかりも言えません。
夫が吟味に詰まるたび、妻が得意の明察で。
たちまち下手人を言い当てます。
同輩たちはますます、丁欽の妻を褒めそやす。
ところが、ある時から、姚のみが。
渋い表情を浮かべるようになった。
丁欽は有頂天になっておりましたから。
上役とは言え、姚の態度が面白くない。
――己の地位を脅かされると、
考えておられるのではあるまいか――
丁欽が勘ぐったのも無理はありません。
呼応するように、丁欽の妻を見る姚の目つきが変わっていく。
事あるごとに、姚忠粛は丁欽に。
妻の出自や来歴を。
根掘り葉掘り尋ねるようになりました。
丁欽は不愉快でなりません。
もうこうなったからには、己が姚を凌ぐしかない。
そう考えるようになった頃。
ここにひとつの事件が起きました。
――チョット、一息つきまして。