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人知れず美しい婿

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どこまでお話しましたか。
そうそう、東国のとある長者が、都から下ってきた噂の美男子を婿にするところまでで――。

いよいよ明日は婚礼という日の晩のことでございます。

娘と都人は仲睦まじく。
ひとつ床に寄り添い合っておりましたが。
突然、天井を激しく踏み鳴らすような音がして。
若いふたりをおびやかしました。

怯える娘を都人が抱き寄せる。
ト、天井から獣が唸るような低い声が降ってくる。

「天子の血を引く者よ」

娘は意外なその呼びかけにハッとする。
尊い身分の方だろうとは思っておりましたが。
まさかそこまでとは、考えてもいなかった。

「逃げても無駄だと言ったろう。俺は貴様らに土地を追われ、根絶やしにされた一族の怨霊だ。お前に取り憑いて悪事を働き、貴様らを末代まで玉座に座れなくしてやるのだ」

怨霊の脅すような恨み言を聞いて、娘の血の気がすっかり引く。
ところが、都人はさすがに毅然としておりました。

「しつこい奴め。追いかけてこなくとも、私からこうして出向いているではないか。神代の昔に征伐された者どもが、どうして今の世に現れて害を為さんとする」
「貴様にはわかるまい。社(やしろ)ひとつ建てられず、魂鎮(たましず)めもしてもらえずに、地下の冥府に閉じ込められた者の気持ちが」
「そういうことなら、私の財で社を建てよう、鎮魂もしよう。そのために、こうして参ったのではないか」
「ええい、遅いわ。その小賢しさが憎らしい。貴様のその麗しい顔と、天子の命と、どちらかを今、奪い取ってやる。さあ、ひとつ選べッ」

嘲るように天井の怨霊が笑い声を上げる。
その大音声が、屋敷中をまるで揺るがすかのようでございます。

「私の顔ごときで気が済むなら、悪神よ、お前の好きにするが良い」

躊躇なく答えた都人の言葉に、娘は思わず息を呑む。

「言うたな。それでは好きにさせてもらおう。見ていろ。吸うぞ、貴様の顔を吸うぞ。吸うぞ、吸うぞ――」

するト、突然――。

都人が悲鳴と呻き声を交互に上げて。
両手で顔を覆い、のたうち回りはじめました。
娘は何が起きているのかわからずに。
己も顔を覆って身を縮める。

そこへ、騒ぎを聞きつけて。
現れたのは長者夫婦。

「婿殿、いかが致した」
「顔が、顔が――」
「な、なに、顔が――」

少し遅れて、どたどたと駆け込んできた者たちがある。
都人の従者たちでございます。

「殿、如何なされました」
「お、お前たち、見てくれ。私の顔を」

都人はこの時に至り、初めて絹の布を外しました。

あっと声を上げる一同。

そこにあったのは、見るも無残な光景で。




目鼻口が顔の真ん中に、まるで吸い寄せられたように集まっている。
天下に二人とないと言われた美男子が、見るに堪えない醜男になってしまった。

「と、殿。このお顔は一体――」
「さては、かの怨霊の仕業でございますかッ」

呆気にとられている長者夫婦に。
従者たちは、事の経緯を説明する。

実はこの方は、天子様の血を引く尊いお方。
神代に絶えた一族の怨霊から、何故か逆恨みを買うことになり。
いにしえの怨霊を神として祀るため。
都を出て、はるばる東国まで下ってきたのでございます――云々。

都人は天子の命を守れたことに、安堵を感じたためなのか。
明日から一族の縁を結ぶはずだった、長者夫婦と娘とに。
このような顔になってしまったことを、心から詫びる。

「私は貴方様のお顔立ちを選んでお慕い申すのではございません」

夫となる人の落ち着いた態度に、娘も気を取り直しまして。
力強くそう宣言いたしますト、両親の方をキッと振り向いた。

長者夫婦も、それほど尊いお方と知った今。
もはや顔など問題ではございません。

翌日は、予定通りに婚礼が執り行われまして。
都人と娘は夫婦として仲睦まじく暮らしました。

ところが世の中というものは儚いもので。
やがて長者の家が没落する。

ト、ここまではありがちな話でございますが。

長者夫婦や集落の者を。
アッと驚かせた一事がある。

夫たる都人と従者の群れが。
一晩のうちに屋敷から姿を消したのでございます。

長者夫婦はまさに狐につままれたよう。

それからしばらく経ちまして。
山二ツ超えた集落から。
とある噂が風に乗って伝わってきた。

博打打ちの集団が現れて、風紀を乱しているらしい。
その首領は生まれつきのとんでもない醜男だト申します。
なんでも、目鼻口が顔の真ん中に集まっているのだそうで。
あまりの醜さに、博打で食うより他なかったのだろうという。

ああ、それで絹布を被っていたのかト。
まんまと一杯食わされたかト。
そこで初めて都人の正体に。
気づいた者もございましたが。

永遠に封印された夫の麗しい顔立ちを。
娘はその後も、夢心地の中で追い続けていたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「宇治拾遺物語」巻九『博打聟入の事』ヨリ)

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