どこまでお話しましたか。
そうそう、常陸国のとある漁村に、奇妙な船が流れ着いたところまでで――。
佐吉と佐次郎の兄弟が。
縄でくくって引っ張ってきたものは。
形はまるで閉じた蛤のよう。
大きさは直径が三間余り。
人が縦に三人並んで入るくらいの大きさで。
蛤の上の殻に当たる屋根の部分は。
これがなんと硝子張りで。
下の殻に当たる底の部分は。
鉄の板金を黒白の段だら模様に張り合わせてある。
おそらくは、荒波に遭っても砕かれぬようにとの工夫にございましょう。
屋根は硝子張りでございますから。
上から覗けば、中の様子は一目瞭然。
「ヤヤッ――」
ト、漁師たちが声を上げましたのは。
中にあったのがただものではなかったからで。
その声を聞いて、幼い佐助も気になりまして。
大人たちをかき分け、近づいて見た途端――。
「あッ」
ト、これも同じく声を上げましたが。
そのわけは大人たちとは違っている。
佐助が待ち焦がれていたものが。
そこに横たわっていたからで。
「おっ母」
思わず舟に駆け寄った。
中に寝そべっていた若い女は。
佐助の呼びかけにニッコリと笑みを浮かべた。
ト、これが佐助の母のはずがございません。
何故かト言うに、この若い女は。
有り体の姿形ではなかったからで。
髪も眉も燃えるように赤く。
顔はむき身の卵のように真っ白く。
髷の部分から背中に向かっては。
長く白い髢(かもじ=付け髪)が垂れている。
簡単に申せば、異人の娘でございました。
浦人たちはおそるおそる、硝子張りの屋根を開けまして。
異人の娘を浜に降り立たせましたが。
何を尋ねても言葉が通じない。
どこから来たのかもまるで分かりません。
なのに、まるで物怖じもせずに。
一人にこにこト笑っている。
女は二尺四方の箱を小脇に抱えておりました。
この箱だけは大事にしているようでして。
人々が触ろうとすると、突然その笑みを消して、遮ります。
船内を検めて見てみますト。
合わせて二升あまりの水が入った小瓶が二つ。
敷物が二枚。
食い物としては菓子があり。
また、肉を練ったようなものもありました。
「それにしても気味が悪りいじゃねえか」
「紅毛国の姫か何かじゃねえのか」
「そんな御大層なのが、どうしてこんなものに乗って海を流れてるんだ」
「大方、流刑に遭ったに違いねえ」
「下男と不義密通でも働いたかな」
ト、浦人たちは卑俗な想像を巡らすしかない。
「なるほど。その箱に入ってるのが、間男の首だというわけだ」
一人が得意気にそう言ったので。
みな、途端に気分が悪くなった。
「不吉じゃねえか。そんなものが海の向こうから流れ着くたぁ」
「下手にお上に知らせて、とやかく詮議されるのも時節柄、面倒だ」
たちまち評議がまとまりまして。
漁師たちは異人の娘の手を取るト。
再び、虚舟の中に入るよう促しました。
佐助は大人たちの話しぶりから。
淡い期待が外れたことを知りましたので。
ただ黙ってその後ろ姿を見守っておりましたが。
若い女は、一度こちらへ振り返りますと。
柔和な笑みを浮かべて、佐助にひとつ頷いてみせた。
佐助にはその意味の何たるかは分かりません。
だが、心が何だかそわそわとした。
年頃のをのこには罪作りな笑みでございます。
ところが、やがて虚舟の蓋が閉められますト。
ようやく異人も、評議の結論に気づいたらしく。
遅まきながら、途端に暴れはじめまして。
怒声を上げ、狂ったように蓋を押し返す。
佐助も慌てて虚舟に駆け寄りましたが。
「佐助。お前は何も見ていない。分かったな」
ト、父に押し戻されてしまいました。
佐助は虚舟の中の娘を覗き込む。
娘はもう、佐助になど構いもせずに。
ただ、己の命を守らんとあがく。
佐助はじっと見守る以外、なす術がございません。
抵抗むなしく、硝子張りのその屋根は。
バタンと乱暴に閉められまして。
異国の織物の衣の裾が、その蓋の端から飛び出したまま。
舟は沖へと再び押し返され、虚しく流されていったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(滝沢馬琴 他「兎園小説」第十一集『うつろ舟の蛮女』ヨリ)