どこまでお話しましたか。
そうそう、四人の若者たちが泊まった宿の一室で、女の死体が起き出して、若者の口に息を吹き込むところまでで――。
女は隣の寝台に近づきますト。
やはりかがみ込んで口元に顔を寄せる。
仲間の口に口を当て。
ふうっ、ふうっ、ふうっと。
三度、息を吹き込みます。
それが終わると、次にまた隣の寝台にやってくる。
男は頭から布団を被り。
息を殺しておりました。
(次は俺だ。次は俺だぞ――)
女がついにこちらへ近づいてくる。
布団の上からふうっ、ふうっ、ふうっと。
三度、息を吹き込んだのが分かった。
女の気配は去っていく。
男はようやく一息ついて、布団から顔をそっと出してみる。
女の死体はすでに帷の中へ戻っている。
寝台の上に固い棒のようになって横たわっている。
この狭い一室に、魔に憑かれた死体とともにいるかと思いますト。
男は全身から血の気が引いていく思いがいたしまして。
ともかくも仲間を起こそうト、足を伸ばして蹴ってみましたが。
誰一人、目を覚まそうといたしません。
もうこうなったら、己ひとりでも逃げ去るより他ございません。
寝台の上に身を起こして、そそくさと着物を着ておりますト。
ミシミシ、ミシミシと。
再び軋み始める女の寝台。
男はぞっとして、布団の中にもぐりこむ。
女が近づいてくる気配。
布団の上から何度も息を吹きかけている。
男は震えを懸命に抑えてじっと耐える。
やがて女は去っていった。
男はもはや猶予はないと覚悟を決め。
着物を急いで身につけますト。
一、二の、三で寝台を飛び降りて。
裸足のままで駆け出した。
物音に死体が揺り動かされる。
はたと起き上がって左右を見回す。
男と目が合ったその瞬間――。
死者は猛り狂い、逃さじとばかりに追ってくる。
男は一目散で逃げ出して、閂を抜いて外へ出た。
「おーいッ、誰か助けてくれーッ」
大声で叫びながら走りますが、誰も気づいてくれません。
女の死体が凄まじい勢いで追いかけてくる。
男は城下へ続く道をひたすらに走りました。
やがて、街の入り口に廟が見えてきた。
男は死に物狂いで門を叩く。
「開けてくれッ。殺されるッ」
男の鬼気迫る叫び声に、道士はかえって怖気づいてしまいまして。
頑なに門を開けてくれようといたしません。
振り向くと、女の死体がもうそこまで追ってきている。
もはやここまで――ト観念した時、男の目にドロノキの大木が見えました。
男はすがりつくように木の陰に隠れる。
女の死体が迫ってくる。
右へ回れば左へ逃げ――。
左へ回れば右に逃げ――。
振り回されて憤激した女の死体が。
ぱっと両手を伸ばして掴みかかってくる。
鷲のように鋭い爪が、男の眼前に飛んでくる。
男は思わず後ろにのけぞったその勢いで。
もんどり打って背中から地に叩きつけられた。
(南無三――)
ト、女の死体が急に静かになりました。
男は恐る恐る身を起こしてみる。
女は木に抱きついたままじっとしている。
そこへ道士が今更ながらにやってくる。
「なんです。あなた方は。その女は何なんです」
「死人だよ」
「し、死人――」
男は道士と二人で、そっと大木に歩み寄っていった。
見るト、女は目玉をひん剥いた鬼の形相で。
木に抱きついたまま、石仏のように固まっている。
やがて役人が検死にやってくる。
女の手をなんとか解こうといたしますが。
どうしても木に抱きついたまま離れません。
女の左右の四本の指が、まるで鈎のように鋭く曲がり。
爪が見えなくなるほどに、木の中に深くめり込んでいた。
数人がかりでなんとか指を引き抜くト。
そこに螺子穴のような深い跡が刻まれておりました。
「だから、やめておこうと言ったのです」
呼ばれてやって来た宿の老人は、弁解してそう口ごもる。
三人の仲間は朝すでに死体となっていたという。
聞けば、昨日亡くなった息子の妻を、あの部屋に安置していたのだと申します。
息子が買いに行った「入れ物」とは、棺桶のことでございました。
魔に憑かれた死者が、生者を死の淵まで追いかけるという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(清代ノ志怪小説「聊斎志異」巻一之三『尸変』ヨリ)
コメント
このたまにカタカナが入ると恐怖が増します・・・
ありがとうございます。
種明かしをしますト、講談や落語の速記本のマネです。
三種類の文字を使い分けられる日本語は、本当に豊かな言語だと実感しております。