こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。
ただいま、徳川様の二条城が鎮座する地には。
もと、冷泉院(れいぜいいん)ト申す後院がございました。
後院ト申すは、上皇の御所でございます。
つまり、天皇の地位を退いた後の、終の棲家でございますナ。
さて、この冷泉院でございますが。
もともとは名を冷然院ト申しました。
ところが、度重なる火災のために。
何度も消失いたしましたので。
「然」が「燃」に通じるトして。
「泉」の字に改めたのでございます。
この冷泉院には、文字通りト申しましょうか。
泉ならぬ池がございました。
延喜年間に京の町の井戸が枯れました際には。
院を開け放ち、この池の水を誰にでも自由に汲ませたという。
陽成上皇がお隠れになった後。
この冷泉院の寝殿は、一条へ移されまして。
跡地はすべて町家となる。
池の周りにも人が住むようになりました。
さて、ある夏の夕暮れ時でございます。
この池の畔に住んでいた男が。
気持ちよく昼寝をしておりましたが。
じりじりト西陽の照りつける中。
涼しい木陰でまどろんでおりますト。
己の顔の上あたりに、何やら人の気配を感じる。
怪しく思って目を開けますト。
そこに、翁(おきな)がひとり立っていた。
こちらをじっと見下ろしております。
ト、これがただの翁ではございません。
身の丈はたった三尺(90cm)ほど。
その小さな体が、年老いて腰から折れている。
顔には深い皺が刻まれております。
その不気味な生き物が。
やにわに手をこちらへ。
伸ばしてきたかト思いますト。
にゅっと男の顔を撫でました。
寝ていた男はびっくりしましたが。
あまりに気味が悪いので、気づかぬふりを決め込んだ。
翁はしばらくそこに立っておりましたが。
やがて日が沈んだ頃を見計らったのか。
その場を立ち去っていきました。
男は身を起こして、翁の後を密かに追う。
星月夜の月明かりに。
小さな翁の影を見て。
やがて翁がやって来ましたのは。
かの冷泉院の池の畔。
汀までスタスタ歩いてまいりますト。
翁はズボンッと飛び込んだ。
あたりをいくら探しても。
小さな翁の姿は見当たらない。
この池は久しく人の手が入っておらず。
水草や菖蒲が鬱蒼と生い茂っている。
いとも恐ろしげな佇まいでございます。
さすれば、あれは池に棲む妖物ではなかろうかト。
噂しているところへ、その後も毎晩翁が現れる。
夜ごと、人の顔を撫でては去っていきますので。
土地の者はみな、怖れて震え上がった。
――チョット、一息つきまして。