どこまでお話しましたか。
そうそう、主人の後妻の企てに乗せられて、家来の石麿が継子の若君を亡き者にするよう迫られるところまでで――。
寂しそうだった若君の顔がぱっと綻んだのを目にいたしまして。
石麿はかえって若君が哀れに思われましたが。
今更、後戻りのしようがございません。
心を鬼にし、若君の手を引いて歩きだした。
厩まで連れて行きますト、一頭の白馬に若君を乗せまして。
己は手綱を引いてゆっくりと屋敷を出ていきました。
白馬も童子も、ともに何も知らぬまま。
屋敷を遠く離れ、やがて野中の道なき道をかき分けていく。
「石麿」
不意に呼びかけた心細そうな声。
石麿はどきっとして馬上の若君を振り返った。
「叔父様の家へ行くのに、どうしてこんな道を通るんだい」
「いえ、何。これが近道なのでございます」
「こんな薄暗いところを通るのは何だか嫌だな」
石麿は口をつぐんで黙り込む。
不安げな若君もやはり黙り込んだまま。
そうしてまた、しばらく馬を進めていきましたが。
やがて石麿が、後ろめたげに声をかけた。
「若様」
「何だい」
「御覧なさい。このあたりには山芋がたくさん植わっているようでございますよ」
若君は石麿の呼びかけにも上の空で。
気もそぞろに辺りをきょろきょろ見回している。
「カラスが群れているよ。気味が悪い。早く行こうよ」
「少し休んでいきましょう。私が芋を掘ってあげますから」
「芋なんかどうだって良いよ。早く行こうよ」
若君がそう言って怖がるのも。
敢えて聞こえぬふりを決め込みまして。
馬を停め、己も立ち止まりますト。
石麿はただ黙って土を掘り始めました。
この愛らしい若様を、俺は色欲と引き換えに殺すのだなト。
己の浅ましさを思えば思うほど、馬上の若君を思えば思うほど。
その愛らしさと不憫さとが、やがて石麿の心に重くのしかかる。
「どうだい、山芋は。植わっていたかい」
ト、馬上から覗き込んだ若君を。
「うるさいッ」
石麿は角髪を引っ掴んで、一気に引きずり下ろした。
「痛い痛いッ」
「黙れッ、静かにしろッ」
石麿は死に物狂いで、若君の着物を次々と剥いでいく。
若君も必死に抵抗しますが、とても子どもの力ではかないません。
たちまちに赤裸にされてしまい、大声で泣き叫びだしました。
「静かにしろッ、静かに――」
石麿は思わず若君の口を塞ぐ。
二人の足元には、芋を掘り出すにはあまりに大きな穴。
そこへ力いっぱい放り込むト、若君は頭を打ってぐったり伸びた。
石麿は慌てて上から土を掛ける。
若君もやがて気がついて、ばたばたトもがき出す。
どさどさト頭の上に振りかけられていく黒い土。
若君の小さな体が徐々に飲み込まれていく。
やがて身動きが取れなくなり。
声が聞こえなくなり。
頭がすっぽり埋まってしまった。
石麿は最後に土を両足で踏み固めようとはいたしましたが。
この下に若様が埋まっているかと思うト、気が気でない。
慌てて馬に飛び乗り、その場を立ち去ろうとしたその時――。
どこからともなく。
びいーん、びいーん、びいーんト。
風が唸るような。
童子が呻いているような。
そんな気味の悪い、声とも音ともつかぬものが。
石麿の耳に低く低く響き渡った。
「黙れ。静かにしろ――」
それから、三年。
屋敷の財を一手に収めた後妻を、己が後ろ盾にして。
石麿は妻とともに、何不自由なく暮らしておりましたが。
そんな安穏な日々にかえって不安は募ってゆき。
ある時、妻が引き止めるのも聞かず、暇を願って出ていきました。
手切れに与えられた一頭の白馬を手に引いて。
石麿は野中をとぼとぼ歩いて行く。
あの日、あの時、己が若君を埋めた場所へ。
いつしか、足が向かっておりました。
するト、向こうの藪の中から。
聞こえてきたのは、かの不気味な音。
びいーん、びいーん、びいーんト。
風が唸るような。
童子が呻いているような。
見るト、そこには山芋の葉と蔓が。
両手で空を掴もうとするように。
上へ上へト伸びていた。
びいーん、びいーん、びいーん。
びいーん、びいーん、びいーん。
風が唸るような。
童子が呻いているような。
石麿は恐る恐る近づいていく。
額に汗を滲ませながら。
音のする方を覗き込む。
生い茂る山芋の色づき始めた細長い葉。
いつしか足元には蔓が這い寄り。
足首から脛へと絡み始めておりました。
「やッ。ややッ――」
驚いて振り払おうト、身をかがめるト。
目の前にはなんと、怪しいほどに大きな山芋が。
土の中から顔を出しておりましたが。
それはまるで人間の童子の顔のように。
小さな目と鼻と口とが揃っているなト思ったその時。
その小さな口が突如、大きく口を開け。
おぞましさに怯えきった石麿の青ざめた顔を。
ガブッと丸呑みしてしまったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻二十六第五『陸奥の国の府官大夫介の子の語』ヨリ)