こんな話がございます。
天竺の話でございます。
舎衛国(しゃえいこく)に、さる高名な婆羅門(バラモン)がおりました。
婆羅門ト申すは、かの国古来の祭祀者でございまして。
かの国では人は生まれながらに四つの階層に分かれておりますが。
その最上位が、この婆羅門と呼ばれる者たちでございます。
王侯貴族でさえ、その下位に甘んじているトいう。
もっとも、釈尊は婆羅門ナドどこ吹く風でございましたので。
仏家ではこれを外道(げどう)ト称します。
この高名な婆羅門は、三経に通じ五典を究めた人物で。
国の政事から種々様々な学問に至るまで。
この者に学ぶ者は実に五百人を数えておりました。
さて、この婆羅門には寵愛する優れた弟子がおりまして。
一名を鴦掘摩(おうくつま)ト申しましたが。
かの国の言葉では「アングリマーラ」ト発します。
何だか、ボンヤリと間の抜けたような名前でございますが。
その意味するところは「指鬘(しまん)」トいう。
つまり、「指の首飾り」でございますナ。
どうしてこんな物騒な名前をつけられたのか。
その由来を今からお話しようかと存じます。
鴦掘摩は好男子でございました。
容姿は女のように麗しく。
肉体は男らしく壮健で。
智慧も有り、弁も立ち。
雅やかで優美であり。
その上、行いは聖人のように立派であるという。
実にケチのつけどころのない若者でございましたので。
師がこれに特別目をかけているのも無理はない。
ところが、師ばかりで済むはずもございません。
これほどの好男子を女たちが放っておく訳がない。
その最たるものはト申しますト。
これがナント、師の妻だったのでございます。
師の妻は名を欽敬(きんけい)ト申しまして。
年若い美貌の婦人でございます。
年の離れた夫に嫌気が差しておりましたものか。
堅物の夫に倦んでいたのかは存じませんが。
ある日の朝でございます。
婆羅門の夫は家を出る。
夫人は優しい笑みで送り出しますト。
いそいそト身繕いを始めました。
かの国は南国でございます。
ただでさえ肌は顕わになりがちで。
布一枚巻いたばかりの身なりでございますが。
夫人は若く豊満な肢体を誇示するように。
透き通るように美しい紗を身に這わせます。
「奥様。いかがなされました――」
物憂い表情で突然に。
ひとり現れた夫人のその真意を。
鴦掘摩は測りかねつつも、もしやト察し。
目を伏せ。
眉を顰め。
視線は足元を泳ぎ回る。
「鴦掘摩――」
「は、はい」
青年の声は上ずっている。
「夫は出掛けました」
「はい。私もまもなく――」
ト言って、慌てて脇を通り抜けようとした鴦掘摩を。
「待ちなさい」
ト、身動き一つせず立ち止まらせましたのは。
突き刺すようなその一言ト。
待ち伏せていた女の鋭い視線で。
「どうして、あなたはいつも――」
鴦掘摩は思わず目を閉じる。
「――いつも私の目から逃げるのです」
そう言って鴦掘摩の逞しい腕を掴みますト。
その大きな手のひらを、紗越しに自らの乳房へ押し当てさせた。
鴦掘摩はゾッとした。
「いけません。あなたは師の妻です。母も同じです」
「いいではないですか。同い年の母などあるものですか」
吐息が耳にふりかかる。
額にじっとり汗が滲む。
押さえつけられた手のひらが。
小刻みに震えておりますが。
その手のひらにも汗が滲むのは。
紗越しに包んだ乳房の熱か。
さてまた、己の脂汗か。
「は、放してください――」
鴦掘摩は女の手を振り払いますト。
一目散にその場を立ち去りました。
――チョット、一息つきまして。