どこまでお話しましたか。
そうそう、旅の僧が乳の腫れ上がった女に呼び止められて、身の上話を聞かされるところまでで――。
女が幽鬼であると知って、僧もいたく驚きまして。
「あの世へ渡ることも許されぬとは。生前に左程の罪を犯したか」
ト、眉をひそめて鬼女に問うた。
「は、はい。邪淫の罪でございます。いや、そればかりではございませぬ」
「と申すと」
「私は欲深い女でございました。器量が良いことを鼻にかけ、言い寄る男なら、だ、誰彼なく体を許したのでございます」
「なるほど。それが邪淫の罪であるな」
僧は意外に思って、溜め息を吐いた。
ト申しますのも、この程度――。
ト、申しては罰当たりでございましょうが。
生きている限り、誰もが犯しかねない罪でございます。
それでここまでの責め苦は罰が重い。
「はい。ところが、そ、そればかりではございませぬ。情欲に溺れるあまり、己の子供らに乳を与える暇さえ、お、惜しみました」
そう言うト、女は再びウッと呻き声を漏らした。
腫れた乳がまたぞろ疼くようでございます。
「して、子供らは」
「みな乳に飢え、し、死にこそせねど、貧相に、や、痩せてゆきました。中でもとりわけ――」
「とりわけ――」
「哀れであったのは、末の、な、成人(なりひと)と申す男の子で」
「な、成人――」
寂林法師は言葉を失った。
目の前で苦しむ女の顔が突然に。
己の脳裏に飛び込んでくる。
過ぎ去りし記憶の波を縫うようにして。
幼い日々に見た母の面影に。
目の前の鬼女の顔が重なった。
――は、母上にてましますか。
法師は思わず心の中で声を上げた。
何を隠そう、この寂林こそが。
鬼女の末の男子、成人その人でございます。
幼時に噂に聞いた母の死に様は。
仏罰ト申すのが相応しい死にっぷりで。
その頃、母はまだ若い盛り。
土地でも評判の美女であったトいう。
己より若い男を引き込んで。
野中でまぐわっていた、その時に。
にわかに空はかき曇る。
男も女も構いはしない。
遠くの空には轟く雷鳴。
雨雲は瀧のように雨を降らす。
それでもやめることをせず。
ついに雷に身を打たれ。
男もろとも死んだトいう。
まだ乳飲み子だった成人は。
ただでさえ、飢えていた母の乳を。
その後は一滴も口にすることが出来ず。
長じても指しゃぶりをやめられなかったのも。
これが為であろうト、兄らも姉らもみな言っていたが。
その母は今、生前の若い姿そのままで。
地獄の責め苦に苛まれつつ。
この世をまだ彷徨っているトいう。
「痛い、痛い――」
鬼女の乳は大きく腫れ上がり。
熟れすぎた白瓜のように垂れ。
その先からは草汁のごとき緑色の。
膿がダラダラと流れている。
鬼女は一層、顔をしかめ。
「痛い、痛い――」
ト、苦しそうに呻いており。
そうして、藁にもすがる思いでか。
徐々に般若の相トなる。
「ち、乳を吸え。乳を――」
ト、迫ってくる。
僧は静かに目を閉じた。
「女よ」
「な、何だ」
「吸うのは訳ないぞ」
鬼女は勢いを得て迫りくる。
「す、吸え――」
「吸うのは訳はない。だが、私が吸ったとて――」
「は、早く吸え――」
「――その膿が尽きることはあるだろうか」
女はその一言にハッと息を呑んだ。
悔悟の色がたちまち顔いっぱいに広がった。
「ううっ。我が子に飲ませてやれば、この乳もいつかは尽きたろうものを」
そう言って、両手で顔を覆うや咽び泣いた。
するト、その途端――。
滴っていた膿はピタと止まる。
腫れていた乳はみるみる萎んでいく。
合わせて容色も衰えていき。
鬼女は瞬く間に老婆となった。
ついには骨肉が粉のように砕け、その場に崩れ落ちて灰となったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「日本霊異記」下巻第十六『女人濫りがわしく嫁ぎて子を乳に飢えしめしが故に現報を得し縁』ヨリ)