こんな話がございます。
清国の話でございます。
太原に王某ト申す士大夫がおりまして。
朝の散歩に出ておりましたが。
まだ霧深い森の中。
その靄へ吸い込まれてゆくが如く。
女がひとり歩いているのが見えました。
小さな体に大きな包みを抱えている。
まるで旅でもしているかのような格好で。
王は不審に思い、後を追う。
「もし、お嬢さん」
ト、声を掛けましたが。
女は振り返りもしない。
黙って歩いていくばかり。
王はますます不審に思い。
歩みを早めて追いつきますト。
並んで歩きながら、女を見た。
見れば、顔つきはまだ幼げで。
年の頃は十六、七でございましょう。
みずみずしい若さの中に。
凛とした美しさがございます。
「こんな朝早くにひとりでどこへ行くのです」
娘は伏し目がちな憂い顔を。
さらに深く沈ませまして。
「所詮は互いに行きずりの仲。憂愁を分かちあえるものではございません」
ト、顔立ちに似合わぬことを申します。
王は返す言葉もない。
白い靄に向かって娘が去ってゆく。
小さな後ろ姿を見送っておりましたが。
それから王は自邸に戻りまして。
別棟の書斎へ入ろうとする。
するト、庭先に何やら人影がある。
朝靄の中で見た例の娘でございます。
もじもじトしているところを見ますト。
どうやら後をついてきたらしい。
「なにか事情があるのでしょう。言ってごらんなさい」
「行く宛がなく困っているのです」
「どうして」
「親に売られた婚家から、初夜に逃げ出してまいりました」
ト、恥じらいながら打ち明ける。
伏した目と長い濡れまつ毛。
「親元へ帰ればよいでしょう」
「金で娘を売った親です。それに、私の脚ではすぐに追手に捕らわれて――」
ト、言って、堪えきれずに泣き出した。
「分かった。しばらく、この書院で匿おう」
王は戸惑いながらも、娘を招き入れますト。
書院の一室を娘にあてがってやりました。
「ここに私が午睡に使う寝台がある。疲れたらここでお休みなさい。午後に発つならそれもよし。不安なら明日の朝までいてもいい」
言いおいて部屋を出ようとする。
ト、娘の冷たい手が王の手首を捉えました。
「どうか、明日までと言わず、末永く――」
涙を湛えたつぶらな瞳が。
こちらをじっと見上げたまま。
ふるふるト震えておりまして。
王が思わずほだされた刹那。
か弱い手が男を己が身へと引き寄せた。
フッと息が吹きかかる。
あれよあれよト申す間に。
若い膚の虜になった。
――チョット、一息つきまして。