どこまでお話しましたか。
そうそう、青い顔の妖物が人の皮に絵を描いて身にまとい、娘にまんまと化けるところまでで――。
王は恐ろしさに歯の根も合わず。
這うようにして書院を後にするト。
一目散に街へと走り。
かの道士を必死に探し出した。
「お願いです。助けてください。ば、化け物が――。私の家に――」
「まあ、落ち着きなさい。だからあれほど申しましたろう」
「金ならいくらでも出す。あれを、早く退治してください」
「困りましたのう」
ト、道士は顎ひげをさする。
「実は、別の家の悪霊祓いを引き受けてしまいましてな。かと言ってこのまま見捨てるわけにもいかぬ。――よし。では、これを渡しましょう」
ト言って、持っていた払子(ほっす)を手渡した。
よく坊主が手にしている、白い毛を束ねたハタキのようなあれですナ。
とにもかくにも、王は払子を手に家に帰る。
書院にはもう近づく気にもなれません。
幾日ぶりかで母屋で寝ることにいたしました。
「そんなものを戸口に掛けてどうするんです」
幾日ぶりかに夫にまみえた賢妻は。
荒唐無稽な弁明に、呆れ顔を浮かべている。
「娘の皮をかぶった妖怪ですって。なにを馬鹿馬鹿しい。おおかた、痴話喧嘩でもして追い出されてきたんでしょう。しかし、書院に我が物顔でのさばられては大事です。庇を貸して母屋を取られるとか申しますから」
ト、冷たくあしらいはしましたが。
そこは、やはり正妻としての矜持もある。
震える夫を孤閨へ迎え入れ。
久しぶりに夜をともに過ごしましたが。
時は三更に至り。
草木も風も眠っている。
聞こえてくるのは我が鼓動ト。
妻のかすかな寝息ばかり。
ト、その時。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
「――来た」
身の毛が再びよだちだす。
歯の根が再び震えだす。
廊下を小さな足音が。
こちらへ向かってやってくる。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
隣では妻が穏やかな顔で眠っている。
こうして見るト、小娘よりよほど愛おしい。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
どうして良いかわかりません。
とりあえず寝台を下りてみるが。
ぐるぐるト部屋中をうろつくばかり。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
――。
――。
やがて足音が戸口で立ち止まる。
あたりに静けさが舞い戻る。
王はじっと聞き耳を立てる。
己の鼓動が邪魔をする。
「道士め」
ト、歯噛みトともに吐かれる声。
「余計な入れ知恵をしおったな――」
娘の甘い声ではない。
この世のものとも思われない。
鈍く重い破れ鐘(われがね)のよう。
ギリギリと歯ぎしりが響き渡る。
王は目をつぶり身を縮ませる。
コツ――。
コツ――。
コツ――。
やがて足音は去っていった。
額には玉のような汗。
王は倒れ込むようにして。
妻の待つ寝台へと戻っていった。
ト。
「待ちなさい」
闇に響いたのは妻の声。
扉の前に立っている。
「――開けるなッ」
王が止める暇もなく。
妻が扉を開け放つ。
「この小娘ッ、泥棒猫ッ――」
戸口に掛けた道士の払子を。
妻が妖物ト知らずに投げつけた。
その瞬間――。
一陣の大風のごとく。
妻を押しのけてなだれ込む。
青黒い影が寝台の王に飛びかかった。
ビリビリッ、ビリビリビリッ――。
哀れ、王は一瞬にして。
腹を無残に引き裂かれ。
臓物はすっかり掴み出され。
嵐はまたたく間に去っていく。
物音に気づいた家の下女が。
燭台を手に恐る恐るやってまいりますト。
そこには目を剥いたまま奥方が伸びており。
床は一面の血の海になっており。
天井には臓物らしき赤い肉が、いくつも叩きつけられて張り付いていたという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(清代ノ志怪小説「聊斎志異」巻一ノ四十『画皮』ヨリ)