こんな話がございます。
遠きいにしえより、我が朝におきましては。
辻占(つじうら)だの、橋占(はしうら)だの。
そういったものをよく行います。
夜明け前や黄昏時ナド、薄暗く寂しい頃合いに。
四ツ辻や橋のたもとにひとり立ちまして。
行き交う人々の言葉にじっと耳を傾ける。
そうして事の吉兆を占うものでございます。
かの平清盛の娘が身籠ったときも。
母の時子が一条戻橋へ出かけまして。
橋占を行ったトもうします。
そのとき通りかかった童たちの言葉の中に。
「国王」トあったのを耳にいたしますト。
生まれてくる子は天子様になるに違いないト。
大いに安堵いたしたそうでございますが。
これが後の安徳帝なのだから、占いも侮れませんナ。
ところで、どうしてそんなところで占うのかト申しますト。
人通りの繁しい場所は、霊力も強かろうト考えたからで。
人ならぬ霊異が人の口を借りて。
神の意を語り示すトいうのでございます。
往来を行き交う幾多の人々の。
精気、魂魄、情念、言霊――。
人々が土を踏みしめるたびに、知らず知らず。
そんなものが満ち満ちていくのかもしれません。
さて、越後のある村の村外れに。
焼き場がひとつございましたが。
ここに夜な夜な化け物が現れ。
人を脅かし、誑かすト。
村中の噂になっておりました。
それもそのはずでございましょう。
これまで死者ばかりが連綿と。
運び込まれてきた焼き場でございます。
つい昨日まで動き、ものを言った人間の。
姿は崩れ、形は失われていく。
その最期の瞬間を見守り続けてきた焼き場の土――。
妖気に満ち満ちていたとしても、なんらおかしくはない。
悪気がモノに憑き、形をなして、怪異を見せるのに違いない。
ところが、これをやむなしとせぬ若者がただひとり。
名を市助ト申す炭焼きでございます。
身の丈は小柄ながら、気性は猪のごとく獰猛で。
化け物など俺が退治てくれるわいト。
腰に鉈をぶら下げて、意気軒昂と出かけていった。
夜。
深い森を抜けたその先に、広がる丸い禿げ野原。
見上げれば穴でも空いたように、夜空が開けておりまして。
白く冷たい月明かりが、皓々と差し込んでおりましたが。
その真ん中に墓標のように立っている、古寂びた赤松の巨木が一本。
市助は松の木の高枝に腰を掛け、化け物の登場を待ち受けている。
風はそよとも揺れません。
虫も啼かない。
鳥の毛繕う気配もない。
しんと静まり返った焼き場の原。
ト、その静寂を打ち破るように。
タッタッタッタッ――。
向こうの森の暗がりから。
何者かが駆けてくる足音が響いてくる。
市助はじっと目を凝らして虚空を睨む。
やがて姿を現すその人影。
「あ、兄どんッ」
聞き慣れた声に眉間の皺を緩ませれば。
そこに立っていたのは、誰あろう弟の慈助ナリ。
「た、大変だ。早く帰ってきてくれ」
ゼイゼイと肩で激しく息をする。
「どうした」
「かか様が――。土間で急に倒れて――」
「な、なんだとッ」
思わずゾッとはいたしましたが。
いや待て、ハハン、分かったぞト。
市助はすぐに気を取り直し。
腰の鉈に手を掛けた。
「あ、兄どん――。何をする――」
「黙れッ、弟の皮をかぶった化け物め。いま、その皮を剥いでくれる」
「う、うわぁ、助けてくれ」
人影は一目散に逃げ出していった。
「ふん、噂ほどにもない」
市助はすこし拍子抜けがいたしまして。
そのまま小半時ほどぼんやりトしておりました。
冷たい夜気が顔を包む。
白い息ばかりが蠢いている。
ト、その冷気を切り裂くように。
タッタッタッタッ――。
向こうの森の暗がりから。
何者かが駆けてくる足音が響いてくる。
市助はじっと目を凝らして虚空を睨む。
やがて姿を現すその人影。
「あ、兄どんッ」
聞き慣れた声に眉間の皺を緩ませれば。
そこに立っていたのは、誰あろう妹のお花ナリ。
「どうして、に兄どんの言うことを聞かねえ。かか様が虫の息だと言うに」
「黙れ、妖物。待っていたぞ」
ト、鉈を振り上げた。
「うわぁ、兄どん。モノノケでも憑いたかッ」
娘の声が泣きわめきながら逃げていった。
「さあて、今度は何に化けて出るつもりだ。件のかか様のお出ましか」
ほくそ笑み、舌なめずりをして待っているト。
チーン、チン。
チン、チーン、チン。
向こうの森の暗がりから。
聞こえてくるのは鉦を叩く音。
市助はじっと目を凝らして虚空を睨んだ。
「おや、あれは坊さんでねえか」
――チョット、一息つきまして。