こんな話がございます。
武蔵国は多摩郡八王子の地に。
千人同心ト申す集団がございますが。
これは、滅亡した武田家の遺臣たちを家康公が惜しみまして。
甲州口――すなわち甲州武州の境を守らせたのが始まりでございます。
その後は、天下泰平の御世が続いておりますから。
近頃では日光勤番ト申しまして。
東照宮をお守りする役目に就いている。
ひとえに、神君の旧恩に報いんとするものでございましょう。
この者たちの身分は郷士でございます。
侍でありながら、土にまみれて汗を流すという。
半士半農、いわば地侍でございますナ。
十組百人、合わせて千人となることから。
この名がついたト申します。
これらを束ねますのが、その名も千人頭でございまして。
身分は五百石取りの旗本格でございます。
甲州街道と陣馬街道の追分に広い屋敷を構えておりますが。
さて、かつてこの屋敷の主人でありましたのが。
萩原頼母(はぎわら たのも)ト申す強情者。
頼母には娘が一人いる。
これがとんだ美人でございます。
田舎侍の群れの中にありましては。
まさに掃き溜めに鶴、泥に咲く蓮華のようであったという。
女形役者の瀬川路考が演じる姿に生き写しだト。
これを路考姫トあだ名する者もあるくらいで。
ただでさえ、野卑な武骨者揃いでございましょう。
娘のことを考えますト、父は毎日気が気でございません。
屋敷にすっかり閉じ込めて、箱入り娘にしております。
ゆくゆくは相応の家格の家に、嫁にやるつもりでおりましたが。
灯台もと暗しトハ、まさにこのこと。
用心している時に限って、身辺への注意が疎かになる。
姫の心を射止めたのは誰あろう。
獅子身中の虫、萩原家に若党奉公をする者で。
名を金弥ト申す、水も滴るいい男でございます。
芋のようなゴツゴツした連中に囲まれて。
幼時より育ったせいでございましょうか。
優男の金弥に、路考姫はすっかり首ったけで。
夜ごと二人は人目を忍んで落ち合いますが。
人の口に戸は立てられぬト申します。
あまつさえ、身分の異なる二人でございます。
父に知られては、どんな目に遭うか分かりません。
「姫様。いつまでも、隠せおおせるものではございますまい」
「そのことです。これから私たち、どうしたものでしょう」
月影も届かぬ藪の中――。
金弥と姫とが、身を寄せ合い。
不安に心を震わせておりますト。
ガサガサ、ガサガサと、何者かが近づいてくる物音がする。
「お嬢様」
ト、笹の向こうから呼びかけましたのは。
年増女のしわがれた声。
「毎晩の夜参り、ご苦労なことでございます。ちょうど、うちの家の納屋が空いてございます。お疲れの時はどうぞご休息にお使いくださいまし。我が家にも神仏のご加護がございましょう」
それだけ伝えて去っていったのは。
槍持の大森何某の妻、お松。
二人はその情けに陰ながら手を合わせまして。
「ああ。あれは大森のご新造様の声です」
「お松かえ。なんとまあ、ありがたい」
それからというもの、路考姫と若党金弥の二人は。
大森家の納屋で落ち合っては、恋を語らう日々を重ねる。
ところが幸せというものは、そう長く続くものではございません。
いじましい逢瀬が、ついに頼母の知るところとなる。
――チョット、一息つきまして。