こんな話がございます。
番町皿屋敷ト申しますト。
これはもう、芝居の方で大変に名が知られておりますが。
あの皿を一枚、二枚――ト数えるくだりは。
実はある種の洒落でございます。
ト申しますのも、あれは元々「皿屋敷」ではない。
「更屋敷」ト書くのが本当でございまして。
では、何故「更屋敷」が正しいのかト申しますに。
ここに、ひとつ恐ろしい由来が伝わっている。
時は元和元年五月七日。
大阪城は徳川方に攻め入られ。
今しも落城せんとしております。
茶臼山にて戦況を見守っていた家康公は。
城から火の手が上がるのを目にされまして。
「誰かある」
「ハッ――」
「城中へ忍び入り、千姫を救い出して参れ。厚き褒美を取らせるぞ」
「ハッ――」
千姫は言わずと知れた豊臣秀頼公の御簾中。
家康公には可愛い孫娘にございます。
ここで無事、姫を救出してくれば、これほどの勲功もございません。
ところが、敵陣はすでに火の海の中。
諸将がこぞって尻込みをしておりますト。
「上意畏まり奉る」
ト、名乗りを上げた者がある。
石州浜田の城主、坂崎出羽守でございます。
この殿原は良く言えば勇猛果敢。
有り体に申せば、猪突猛進を地でゆく気性でございまして。
馬を駆って茶臼山を後にいたしますト。
業火に包まれた大阪城目指し、まっしぐらに突き進んでいった。
城中はすでに、阿鼻叫喚の地獄絵図。
腰元たちは互いに刺し違えて果てている。
男たちは銘々が喉を突き、腹を切って息絶えている。
その遺骸の上にドーン、バラバラと、炎に包まれた柱が倒れてくる。
出羽守はためらいもせずにドンドン奥の間へ進んでいくト。
やがてリーンリーンと聞こえてくる鈴の音。
それを頼りに突き進み、襖を押し開いて見る。
十八九の気品ある女性がひとり、経机に向かって念仏を唱えている。
「姫君ッ――」
出羽守はあらがう姫君を抱きかかえ。
炎の中をずんずん駆け抜けていく。
ついに玄関を出て門までやってまいりますト。
屋根瓦が鉄のように真っ赤に焼けていた。
姫を抱えたまま馬に飛び乗り、鞭を打ち。
門を抜けようとしたその刹那――。
ガラガラと音を立てて崩れ落ちる楼門の屋根。
真っ赤に燃えた銅瓦がバラバラと空から降ってくる。
ト、そのうちの一つが出羽守の頬に当って落ちた。
茶臼山の本陣では、家康公が出羽守の帰りを今か今かと待ちわびている。
そこへ現れたのは、しっかと姫を抱きかかえた坂崎出羽守。
ト、その面体を見て、一同は思わず言葉を失いました。
顔の半分が赤く焼け爛れている。
口は歪み、目は釣り上がり、鼻は曲がっている。
目も当てられぬ醜い面相になっておりました。
「出羽、あっぱれであるぞ。褒美にこの千姫をその方に取らせる」
大御所のお言葉に、一同は息を呑む。
坂崎は涙ながらに御礼を申し上げ、御前を下がる。
ところが、この沙汰に納得しない御方が一人いらっしゃる。
他でもない、千姫その人でございます。
「わらわは秀頼様の室であるぞ。何ゆえに坂崎ごとき下臈の妻に成り下がらねばならぬか」
ト、格の違いを訴えましたが。
そればかりが理由であったかどうか。
これにはさすがの家康公も困ってしまう。
坂崎出羽は、大御所という後ろ盾があるとタカをくくっておりましたが。
翌年四月、家康公は病を得て薨去される。
茶臼山での約束は、そのまま反故にされてしまいました。
するト、翌年の秋のこと。
千姫は重陽の節句におきまして。
本多中務大輔(ほんだ なかつかさのたいふ)ト申す美男を見初めまして。
これを父秀忠公に所望して再縁を申し入れました。
これに烈火の如く怒りだしたのは。
当然のことながら坂崎出羽で。
婚礼当日に御輿を襲い、千姫を奪って刺し殺すト。
物騒なことを言い出した。
坂崎はこれがために誅せられましたが。
かえってこれが祟りましたものか。
本多中務大輔はそれから毎晩のように。
坂崎の悪霊にうなされまして。
婚礼からわずか二年半後に、苦しみながらこの世を去りました。
――チョット、一息つきまして。