こんな話がございます。
四谷のとある横丁に、升屋と申す染物屋。
店の主人は五十絡みで。
篤実な人物ではございましたが。
何の因果が祟ったのやら。
長年連れ添った女房に先立たれまして。
そればかりではございません。
続け様に倅二人にも先立たれてしまいました。
ただ一人残ったのは、俗に言う恥かきっ子。
名を志太郎。
しかも、この五つの幼な子は、生まれつき物を言えないという不自由者。
男手一つで育てはしましたが、やがて無理がたたって体を壊しまして。
商売にも支障をきたすようになり、主人は我と我が子の行く末を、日々案じて暮らしております。
当時、店に出入りしていたのが、金造お由という貧しい若夫婦。
主人が心を固めて、二人に申し入れますことには――。
「どうだい、お前たち。夫婦揃って養子になる気はないか。この店の身代も継がせてやろう。その代わりと言っては何だがナ。哀れと思って、この志太郎を育ててくれる気はなかろうか――」
もとより忠義一途の若夫婦でございます。
お世話になった旦那様と、親子の契りを結ばせていただけるとは。
これはもう、まことにもったいないお言葉にございます。
きっと身代を盛り返してみせましょう。
旦那様の形見ともなろう志太郎を、我が子と思って立派に育て、いつか跡を継がせましょう。
ト、二人して額を畳にこすりつける。
色よい返事にほっと気が緩んだのか、それからまもなくして升屋の主人は、ぽっくりとこの世を去りました。
ところが悪いことは続くもので。
店を継いだ金造お由の若夫婦は、旦那様の御恩に報いようと真面目一徹に働きまして。
身代もだいぶ盛り返しましたが。
口の利けない志太郎を、我が子以上に可愛がりまして。
慎ましやかながらも、三人で幸せに暮らしておりましたが。
働き詰めが仇となったか。
それから一年が過ぎた頃。
妻のお由が病に倒れ、これまた虚しくなりました。
この死をきっかけに恐ろしい秘密が、遺された者たちの知るところとなるという。
巡る因果の物語。
――チョット、一息つきまして。
コメント
お初お目にかかります。
『口なき子』のオチがよく理解できず、
ぜひ砂村隠亡丸様のご見解についてお教えいただければと存じます。
私が考えたところでは、
仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
その報いを今受けており、
お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
という可能性に気づいたお島が、
これ以上当人同士の争いに巻き込まれたくないので
志太郎を殺害の上逃げ出したということでしょうか。
口封じのためにお由がお島を殺したという解釈も頭に浮かびましたが、
それでは志太郎が殺された訳が分かりませんので…
いったち様
コメントありがとうございます。
基本的には読んだ方の解釈におまかせしたいと思っておりますが、
分かりづらい部分があったかもしれません。
あくまで私の印象ですが、以下に記します。
>仮にご新造の恨みで旦那とお由が死んだとすれば、
>ご新造の二人の倅が死んだ説明がつかない。
>お由は恨み嫉みからご新造と二人の倅を殺した
>その報いを今受けており、
>お由とご新造が互いに修羅道で憎悪をぶつけ合っているのではないか?
>という可能性に気づいたお島
私も同じ解釈です。
お島が志太郎を殺して逃げる場面ですが、
血の繋がりもない志太郎に纏わる因果があまりに恐ろしく、
発作的にやってしまったのではないかと感じます。
ただ、それはお島の勝手な妄想ですし、お由の言い分もどこまで信じられるものなのか。
頑是ない子供をめぐる三人の女がみな恐ろしい。そんな物語と思っております。