葛飾北斎 ―画狂老人は一処に安住せず―

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KATSUSHIKA HOKUSAI

転居93回、改号30回。北斎は本当に奇人だったのか

欧米での信仰的とも言える評価に反して、日本での北斎評はまず「奇人」である。

そのイメージは、飯島虚心の著した明治期の評伝「葛飾北斎伝」によるところが大きい。
序文にはっきりと「画工北斎畸人也」とあり、また家の中はごみまみれで、ために93回も転居したとある。

どうやら、絵を描くこと以外はまるで無関心だったようだ。

無愛想で人付き合いが悪く、金には無頓着だった。
掛取りが来ると、机の上に置きっ放しだった画工料を、包みのままどんと投げてよこしたという。

それでも食っていかないといけないから、一説では己の画号を弟子に譲って金に変えた。
それが30回という異常な改号の多さにつながったともいう。

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晩年の弟子露木為一による「北斎仮宅之図」
虚心が露木から提供されたもの
(左の女性は娘のお栄=葛飾応為)

一方で、絵を描くことに対しては非常に真摯であった。

75歳のときに刊行された「富嶽百景」に、画狂老人卍の画号でみずから跋文を載せている。

「六歳から物の形を写し始め、五十歳の頃から画工として評価されるようになったが、七十歳前に描いたものはまったく取るに足りないものばかりだ」

自己卑下のようにも聞こえるが、そればかりではない。こう続けている。

「それが七十三歳でようやく動物、虫、魚の骨格や、草木の芽生え、成長の背景を少しは理解できるようになった」
「だから今後、八十、九十と歳を重ねるに従って、ますます奥義を極めていくのではないか」
「百歳では神業の域に達し、百十歳を過ぎた頃には、己の描く一点一画が生けるが如くになるだろうと思う」

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82歳時の自画像

かと思えば、「猫一匹ろくに描けない」と、突然涙を流すような老人だった。
最期はこう言って息を引き取ったという。

「天、我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
(天があと五年生きながらえさせてくれたなら、本物の画工になれるだろうに)

数え20歳でデビューした北斎は、90歳で亡くなるまで、一心不乱に画道を追求し続けた。
名を変え、所を変えながら、生涯一画狂人であり続けたのだった。

画号の変遷

北斎が生涯に30回も改号したというのは、誇張ではない。
ただし、主要なものは次の6つに絞られると言ってよい。

春朗(安永八年(1779)~。20歳。勝川春章の弟子として。約十五年に及ぶ修行時代)
宗理(寛政七年(1795)~。36歳。「宗理風美人」が一世を風靡)
北斎(寛政十年(1798)~。39歳。馬琴らの読み本の挿絵で活躍)
戴斗(文化七年(1810)~。51歳。「北斎漫画」などの絵手本を手がけるように)
為一(文政三年(1820)~。61歳。「富嶽三十六景」シリーズが大ヒット)
画狂老人卍(天保五年(1834)~。75歳。浮世絵版画を離れ、肉筆画に傾注)

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葛飾北斎(勝川春朗)「四代目岩井半四郎かしく」勝川春朗時代の役者絵
「四代目岩井半四郎かしく」

いたずらに画号を改めるばかりでなく、絶えず新たな分野を開拓し続けていたことが分かるだろう。

狂歌摺物と宗理風美人

寛政七年(1795)、北斎は琳派画師、俵屋宗理(たわらやそうり)の二代目を名乗り始める。
密かに狩野派に学んでいたことがばれ、勝川派から追い出されたためという説がある。

そうした経緯があったからか、この時期の北斎は浮世絵から離れ、狂歌摺物の世界に身を投じている。

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葛飾北斎(宗理)「巳待」寛政九年 宗理時代の摺物
「巳待」

狂歌とは、短歌の形式で滑稽な内容を詠ったもの。
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」や、
「名月を取ってくれろと泣く子かな それにつけても金の欲しさよ」などが今も知られる。

当時の狂歌界は、大田南畝らを中心に、一大文化サロンの様相を呈していた。
狂歌摺物は、彼ら文化人が自作の狂歌を知人に配るために制作した木版画。
大量生産される浮世絵とは違い、豪華で趣向を凝らしたものが多かった。

北斎は、こうした芸術的雰囲気の中で、独自の画風を確立していった。

それが「宗理風」と呼ばれた美人画である。

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葛飾北斎(可侯)「風流無くてななくせ ほおずき」 「風流無くてななくせ ほおずき」
(落款は同時期の別号「可侯」)

葛飾北斎(可侯)「風流無くてななくせ 遠眼鏡」「風流無くてななくせ 遠眼鏡」

可憐で清楚な美人像は、同時期の歌麿の艶めかしい美人と人気を二分した。

1.狂歌摺物と宗理風美人
2.読本挿絵と北斎漫画
3.富嶽三十六景と画狂老人卍
4.余苦在話 ト 北斎

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