こんな話がございます。
我が日の本がまだ倭と呼ばれていた頃のことでございます。
元興寺に道登という学僧がおりました。
この僧は元は高句麗人でございまして、祖国の戦乱を避けて我が国へ渡来したのでございます。
大化二年、道登は宇治川に橋を掛けるために、日夜奔走いたしておりました。
これが今も残る宇治橋でございますが。
その頃のこと、道登が大和国は奈良山の谷間道を急いでおりますト。
道端になんと髑髏が落ちている。
通行人や獣に踏みつけられたらしく、ところどころ崩れかかっているのが痛ましい。
頭の後ろに大きくひびが入っているのが分かります。
従者の万侶(まろ)は「ヤヤッ」と思わず飛び退きました。
ところが、道登は高僧でございますから、至って落ち着いております。
顔に慈悲の表情を浮かべ、万侶に命じますことには。
「哀れな者よ。死してなお人獣に踏みにじられるとは。その木の股に安置しておやりなさい」
万侶も不気味には思いましたが、そこは仮にも修行僧でございますので。
「かしこまりました」
ト、これも努めて冷静さを装い、髑髏を拾い上げ、木の股になんとか置きました。
さて、その年の暮れ。
十二月の大晦日の夕時。
元興寺の門前に案内を乞うた者がある。
「道登大徳の従者、万侶どのにお会いしたい」
呼ばれた万侶が出て行くと、男が一人立っている。
「これは万侶どの。お久しぶりでございます」
ト、男は申しますが、万侶の方ではとんと見覚えがございません。
「あなたと師の道登大徳のおかげで、近頃は私も心安らかに過ごしております」
何気なく聞いていて、ふと万侶は気がついた。
男の頭頂から後頭部にかけて、ひびが入っているのでございます。
「いつぞやの髑髏の霊に違いない」
ト考えますト、ぞっと身の毛がよだつ思いがいたしましたが。
幽霊の方は、物腰も低く丁重な物言いでございます。
「是非、恩返しをさせていただきたく、お訪ねした次第でございます。つきましては急ではございますが、私の家までついてきてはくださいませぬか」
ト、冷たい手で万侶の手を握る。
万侶は唐突な申し出に慌てて、言葉を濁す。
「それはかまいませんが、何も今すぐでなくても」
「それが、今すぐでないと困るのです」
ト、どこまでも一方的な幽霊でございます。
万侶の手を引くと、すたすたと歩き出してしました。
幽霊に手を引かれて、万侶の手には冷や汗が滲んでいる。
もっとも、冷えているのは相手の手の方で。
どこをどう歩いたか、万侶も記憶が定かではございませんでしたが。
しばらく行くと、一軒の家に着きました。
表の戸は閉まっております。
ト、万侶の手を引いたまま、スーッと戸も開けずに入るところは、さすが幽霊。
中に入ると祭壇がしつらえてあり、食べ物が沢山供えてある。
なるほど、今すぐでないといけないとはこのことかト、万侶も納得いたしました。
この祭壇は、大晦日に男の霊を慰める祭祀のために設けられたのでございましょう。
男は祭壇に供えられた飲食を、万侶に差し出します。
「どうぞ、お好きなだけ召し上がってください。みな、私に供えられたものですから、ご遠慮無く」
戸惑いながらも、万侶は差し出された食べ物を口にする。
柿を一口かじってみましたが、特に変わったところはございません。
安心して、万侶は柿を頬張りました。
ト、その時、表の戸口に人のやってきた気配がした。
幽霊は慌てて万侶から柿を奪い取ると、自分の袖に隠しました。
その慌てように万侶も何事かと困惑する。
「万侶どの。騙したようで申し訳ございませんが、あなたに頼みがございます」
頭の割れた幽霊が、申し訳なさそうにこちらを見る。
「これから私を殺した者が入ってきます。またここで殺しが行われるかもしれません。それを私と一緒に阻止して欲しい」
「エッ」
ト、万侶は言葉を失った。
「何事も私の申すとおりにしてください。いいですか。お願いしますよ」
そう早口に申すと、幽霊は祭壇の中に入って立ちました。
こちらを見下ろして、諭すように目で合図をしています。
やがて、人が入ってくる気配がする。
二人の足音が連れ立ってやってきます。
――チョット、一息つきまして。