こんな話がございます。
清国の話でございます。
湖南に張奇神ト申す男がございまして。
もっとも、これは秘密の二つ名でございましたが。
土地では誰もが張奇神の名を知っている。
だが、それが誰なのかを知る者は多くございません。
ト、申しますのも、この男。
昼は善良な農夫として暮らしている。
それが、夜の帳が下りますト。
せっせト裏の稼業に勤しみます。
摂魂士ト申しますのが。
その夜の顔でございました。
どんな術を使うかト申しますト。
魂を自在に抜き取ることができるトいう。
ただ抜き取るだけなら人殺しでございますが。
摂魂術ト申すものはそうではない。
寝ている間に魂を抜き取りまして。
目覚める前にもとの体へ戻してやる。
魂を摂られた側はどうなるかト申しますト。
日頃の己とはまったく異なる姿になり。
寝ている間に行ってこられる場所ならば。
何処なりと望み通りに赴くことができるトいう。
では、どうして張奇神なる男の素性が。
隠されているのかト申しますト。
それが裏稼業たる所以でございまして。
土地の者たちの怨み晴らしの願いを。
張奇神は叶えてやるのでございます。
そのため、誰もが張奇神を知ってはおりましても。
誰が張奇神なのか、知る者はそう多くはございません。
知っていても、敢えて口に出そうという者はない。
恨み晴らしを請う者は。
村の祠堂に参りまして。
己の名、所、仇の名を。
札に記して納めます。
劉某女ト申す女は。
気がつくト、姿が火鼠に変じており。
憎き姦婦の寝間を襲っては。
居合わせた夫もろとも焼き殺したトいう。
また、金某ト申す者は。
朽ち果てた死体に姿が変じており。
弟を殺した悪人の家に現れますト。
家人の心胆を寒からしめたト申します。
いずれも姿を変じておりますため。
己が下手人トハ決して知られる気遣いがない。
誰もが妖物の仕業と思う。
人々は張奇神を畏れかしこみ。
評判は遠く湖北の地まで響いたトいう。
さて、その湖北は江陵の地に。
書生がひとりございまして。
名を呉某ト申しましたが。
この者は張奇神の噂を耳にいたしますト。
ひとつ、化けの皮を剥いでやろうト考えた。
呉某ははるばる湖南の地まで旅してくる。
聞いていた村を尋ねてはまいりましたが。
なるほど。誰がかの張奇神やら分かりません。
見かけるのは朴訥とした農夫ばかりでございます。
人に訊いても、誰もが知らぬと答えます。
そんな名前は聞いたことないなどトとぼけている。
焦れた異郷の若者は。
木陰に休む村人たちに。
つい挑むようにまくしたてた。
「あなた方は本当にお人好しだ。寝ている間に魂が抜け出るなんて、そんな馬鹿な話があるわけないでしょう。それも妖物に姿を変えるだなんて。きっと、その張という男が自分で他人の家に忍び込んだのを、あなたがたが寝ている間に耳元で吹き込むんですよ」
するト、それまで煙草を吹かし。
のんびり茶を飲んでいた人たちが。
一斉に呉を振り返って、じろりト見た。
右も、左も。
老いも、若きも。
思わずゾッとした呉は直感する。
このうちの誰かが張奇神に違いない。
――チョット、一息つきまして。