こんな話がございます。
清国の話でございます。
世の中には極端な人間がございまして。
金に生き、金に埋もれて死んでいくような守銭奴があるかと思いますト。
その反対に、清貧の暮らしに並々ならぬこだわりを持つ者もある。
ここに馬子才と申す人物がございまして。
この者は人並み外れた菊好きでございます。
菊の花を愛でるがあまり、数十年来、清貧の暮らしを守り続けているトいう変わり者で。
どういうことかト申しますト。
子才が菊の花の魅力に取り憑かれているのは、その高貴さゆえでございます。
菊の花の美しさをうっとりと眺めるにつけ、世俗の出来事が穢らわしく思えてくる。
先祖伝来の広い土地に、小さなあばら家が遺されておりましたが。
子才はそこに籠もって、ひっそりと暮らしておりました。
それが、こと菊の花となりますト、これは一種の物狂いでございます。
どこそこにどんな品種のものがある、ナドと耳にいたしますト、もう大変で。
どんな僻地でも駆けつけて、必ず買って帰ります。
さて、子才の家は北京にございましたが、ある時、南京から客人がまいりまして。
その客の曰く、北方にはない品種が自分の住む土地の近郊にあるという。
子才はそれを聞くと矢も盾もたまりません。
早速、客人に同行して南京へ行き、珍しい苗を二株ほど手に入れました。
その帰途のこと。
子才は、一人の少年に出会いました。
一台の馬車の後を、驢馬に乗ってついていきます。
一言、二言、言葉を交わしておりますト。
奇遇にもお互いに菊好きトいうことが知れまして。
少年は姓を陶ト申しました。
姉と二人で北方へ移り住もうと、南京の家を出たト言う。
子才はぜひ、自分の家に来てくれと誘います。
馬車の中の姉も「広い庭があるならば」ト同意いたしました。
その声の清らかさに、簾の隙からちらりと覗き見ますト。
この姉というのがまた、絶世の美女でございます。
年の頃は二十歳ほど、名は黄英と申しました。
子才の家には、敷地の南にもう一つ粗末な小屋がございまして。
姉弟はそこに喜んで住み、毎日子才の菊の手入れを手伝っている。
その中で目につきましたのが、枯れた菊でも見事に蘇らせるそのわざで。
陶が根本から引き抜いて植え直すと、菊はたちまちみずみずしさを取り戻します。
二人の暮らしは貧しいらしく、食事は常に子才に招かれて食べておりました。
その清貧さに、やはり同じ志を持つ者ト、子才は好感を抱きました。
ところがある時、陶が子才のもとに現れてこう言います。
「毎日二人でご厄介になりまして、大変申し訳なく思っております。姉とも相談しまして、今後は菊を売って生計を立てようかと思っております」
それを聞いて、子才は少し機嫌を損ねました。
「私は君がもう少し風流を解する人だと思っていたよ。菊を金に変えるだなんて。それでは君、菊に対する冒涜じゃないか」
思わずそんな言葉が口をつきましたが、陶はあまり気にしていないようでございます。
子才は仕方なく黙って見守ることにいたしました。
それからというもの、陶は子才が捨てた枝や苗を拾い集めるようになる。
それと同時に、二人とも食事の席には現れなくなりました。
やがて菊の季節がやってまいります。
陶姉弟の住む小屋の方が、にわかに騒がしくなりました。
何事かト、子才が様子を見に行きますト。
街から人々が、陶の育てた花を買いに集まってきている。
その賑わいはまるで市場のようで。
しかも、よく見てみますト。
客の手にしている菊の花は、すべて子才が目にしたことのない品種ばかり。
子才は、陶が商売をしていることを苦々しく思いはいたしましたが。
一方で、自分の知らない品種をこれほどたくさん持っていることが羨ましい。
そこで思い切って小屋を訪ねて行きますト。
陶は喜んで、子才を案内いたします。
すると驚いたことに、これまで手付かずで荒れ放題だった南の庭が、すっかり立派な菊畑になっている。
花を咲かせたものは引き抜いて売ったらしく、その跡に別の枝が挿してある。
まだ蕾のものは植えたまま残っているが、どれも珍しくまた美しい。
だが、それらの全てがどうも自分が以前に捨てたもののようにも思われます。
陶は子才を食事に招きました。
姉の黄英が手料理を振る舞います。
二人の暮らしはだいぶ豊かになったようでございました。
子才は、黄英の料理の腕に感嘆いたしまして、
「あんなに素晴らしいひとが、どうしてまだ未婚なんだい」
ト、陶にこっそり尋ねました。
「まだその時期でないのです」
「時期と言うと」
「四十三ヶ月後に結婚しますよ」
はぐらかすようにそう言って、陶少年は笑っておりましたが。
子才がその言葉の意味を知ったのは、まさに四十三ヶ月後のことでございました。
――チョット、一息つきまして。