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キジも鳴かずば

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こんな話がございます。

信州は犀川のほとりに貧しい村がございます。
周囲を急峻な崖に囲まれた谷間に、岩がゴロゴロ転がっている。
その中を激流が駆け抜けていくような土地柄で。

この犀川というのが、また困り者の川でございまして。
岩山を無理に削りながら流れてくるので、川幅が狭い。
大雨などが降りますと、すぐに氾濫して辺りの人家を呑み込みます。
この地が貧しいのも、耕す田畑を容易に持てないためでございます。

さて、この犀川の谷に久米路橋という橋がかかっておりましたが。
その橋のたもとに、仁平という百姓が住んでおりました。
名主から猫の額ほどの痩せた田をあてがわれた小作人です。
女房を亡くし、幼い娘のお菊と二人で慎ましやかに暮らしておりました。

朝、仁平が野良へ出ていきますト。
まだ七つのお菊が椀を洗い、掃除、洗濯をする。
家の中の仕事がだいたい片付きますト。
母が遺した毬を取り出して、一人で外で遊びます。

あのね
和尚さんがね
暗い本堂でね
かねチン、もくチン、なむチン
あら、和尚さん
何食うた
餅食うた
あんころ餅を食いました

ある時、このお菊が高熱を発して寝込んでしまいました。
女房を亡くした仁平でございますから。
お菊は唯一の心のよりどころでございます。
数日間、野良にも出ずに必死で看病をしておりましたが。

お菊の熱は一向に下がらない。
額に汗をびっしょりとかき、苦しそうに顔を歪ませている。
ハアハアと激しく息をしているだけでも、気が気でございませんでしたが。
それが続くうちに、やがてぐったりとし始め、粥も食わなくなってしまった。

男親の仁平は、どうしたらよいものか分かりません。
椀と匙を手に、おろおろとするばかりで。

「お菊や、粥少しだけでも食ってみろ」

お菊はぼんやりとした表情で黙っておりましたが。
父親の心配そうな様子に、なんとか声を振り絞って答えました。

「おら、粥いらねえ――」

弱々しい声に、仁平は耳を近づけて訊き直します。

「そんなら、何なら食う」
「――あずきまんま」

ポツリと一言、それだけ言うト、お菊はまたぼんやりと黙ってしまいました。




あずきまんま――。

粟(あわ)の粥を水でさらに薄く伸ばしたものを食うのが精一杯の親子です。
米の飯に、さらに小豆を入れて炊くなど、正月にだってしたことがない。
それだけに、どこかで見たあずきまんまを、一度でいいから食べてみたいと思ったのでございましょう。

仁平はなんとかその願いを叶えてやりたい。
だが、米も小豆も家にあるわけがありません。

――どこかで見た。
一体、どこで見ただ――。

仁平はお菊の顔を見つめながら、しばらく考えておりましたが。

ふと思い出しましたのは、名主の家の娘のことで。
お菊より四つ下で、今年ようやく三つになりますが。
以前、何度かお菊が子守に呼びだされたことがございます。

――そうだ。名主様の家なら、米も小豆も蔵にある。

ト、思いついてしまったのが、仁平の罪。
一旦その考えが浮かびますト、もはや良心で抑えることはできません。
目の前には、可愛い娘が今にも消え入りそうな顔で、ぐったりとしている。
振り払おうとすればするほど、名主の米と小豆が頭の中を駆け巡る。

「お菊。少しの間だけここで待ってろ。父ちゃん、すぐに帰ってくるからな」

そう言って戸口を出るト、月のない夜道へ駆け出していきました。

――待ってろよ。すぐ戻るからな。
すぐだ。ほんの少しの間だ。
ほんの少し、ほんの少しだけなら――。

名主の蔵に忍び入りますト。
仁平は右手でザクっと米を握り。
左手には小豆をザクっと握り。
両手を固く握りしめ、再び闇の中へ駆け出していきました。

――チョット、一息つきまして。

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