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鍛冶屋の婆

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こんな話がございます。

昔、ある旅の商人が、隠岐国の山を越している途中で日が暮れてしまいました。
それでも山の頂上まで上っていきますト、大きな松の木がございました。
身の丈より高いところに、大きな股がある。
商人はよじ登って、そこに横たわり眠ることにいたしました。

夜更け。
商人がぐっすり眠っておりますト。
何やら木の下の方から物音がする。
商人は目を覚まして驚いた。

ナント、山猫がざっと数十匹、木の周りを取り囲んでいる。
鋭く夜目を光らせて、こちらを狙い、うなっている。
いつ飛びかかってくるのではないかと、商人は気が気でない。

とは言え、こう取り囲まれては出来ることなどございません。
ただ、立ち去ってくれるのを待ちながら、そのうなり声に耳を傾けている。
ト、そのうちに商人はとんでもないことに気がついた。

山猫たちはただうなっているのではない。
口々に人語をつぶやいているのでございます。

「こりゃあいい。宴の肴にはもってこいの上物だ。どうにかして食ってやりたいが」

ト、大猫どもの頭領みたいなのが、舌なめずりしてこちらを見ている。

「こうしよう。俺が登っていって木から落とすから、お前たちはここで待ち構えていろ。落ちてきたら一斉に噛みつけ」

そう言ったかと思うト、大猫は大きなバチを木に立てかけまして。
それをはしご代わりにして、ザクッザクッと爪を立てながら登ってきた。

こうなるともう、商人も覚悟を決めるより他にない。
九寸五分の道中差を静かに抜いて待ち構える。
が、登ってくる相手は陰になって見えません。

ザクッ――、ザクッ――。
ザクッ――、ザクッ――。

不気味な爪音が少しずつこちらへ近づいてくる。

来るぞ。
あと少し。
あと少し。

ギャアァ――ッ。

ト、突然顔を現しまして。
凄まじい剣幕で飛びかかってきた瞬間。
商人は構えていた短刀を、大猫の土手っ腹へズブっと突き刺した。
山猫は血しぶきを上げながら、木の股にぐったりと倒れこみました。




「今夜の獲物は只者ではねえ。俺の手には負えねえ代物だ。あとは頼んだ――」

つぶやく大猫を商人は地べたへ蹴落としまして。
こうなったらやれるだけやるしかございません。

残された化け猫たちは、それを見て憤激する。
俺が俺がト、先を争うようにして木を登ってきます。
商人は猛り狂った山猫たちを、ばったばったト斬り倒していった。

そのうちに、山猫たちの方でも無鉄砲に襲いかかるのをやめまして。
木の下に集まり、猫の額を寄せて相談を始める。

「どうすりゃあいい」
「ともかく仇を討たずばなるめえ」
「しかし、俺らのかなうような相手ではねえぞ」
「俺らが死ぬのは構わねえ。しかし残された妻や子どもはどうなる」
「よし、こうなったら、鍛冶屋の婆を呼んでくるよりあるめえ」

やっと相談がまとまったようで、大勢の猫たちは山を下りて行きました。
商人はこの隙に逃げなければなるまいト。
着衣を整え、身の回りの品をまとめて、木から下りようといたします。
その時――。

「エッサ、ホイサ、エッサ、ホイサ――」

駕籠かきの声が向こうから近づいてきた。

見るト、二匹の山猫が駕籠を担ぎ、その周りを他の山猫たちが取り巻いてやってくる。
駕籠は木の根元に下ろされました。

「鍛冶屋の婆どの。こちらでござんす」
「あの人間めを退治てやっておくんなまし」

駕籠の戸を開け、鷹揚に下りてきたのは、老婆ならぬ大きな白猫。
袖なしの着物を着て、白手ぬぐいを肩に掛けている。
大きな目をぎょろぎょろさせて、こちらを見ますト。

「ぬしら、あの程度の人間を捕まえられぬようでは、猫の沽券に関わるのが分からぬのか。まっこと頼りないやくざ者ばかりよの。まあ、ええわ。わしが行って落としてきてやるから、ここで待っておれ」
「婆どの、お頼み申します」

婆猫は白手ぬぐいを若い衆らしき一匹の猫に渡しますト。
まず松の木の根本で爪をじっくりと研ぎまして。
準備が整うと、商人には目もくれずに、ゆっくりと木を登り始めました。

――チョット、一息つきまして。

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