こんな話がございます。
唐の国の話でございます。
陽羨という地に許彦(きょげん)と申す者がおりました。
七十の坂を過ぎておりますが、生涯独り身でございます。
独り身と申しますのは、妻がいないという意味ばかりではない。
女の肌に触れることのないまま、いつしか老境を迎えたのでございました。
女嫌いだったわけではございません。
縁がなかったわけでもございません。
自分でもどうしてこうなったのだろうト、許彦はよく考えますが。
考えれば考えるほど、原因は己の側にあるとしか思えない。
――女嫌いではない、女が怖かったのだ。
女が恐怖を秘めているから怖いのではなく。
己が、女に接する勇気をなかなか持てないままに。
わしは今日まで老いてしまったのだ。
今さら、そんな結論に至ったところで、老爺に出来ることはもうございませんが。
許彦は、考えても仕方のないことを毎日考えながら、山道を登り降りするのでございます。
その日も老人は、背中に雌雄二羽の鵝鳥を入れた籠を背負って、家を出ました。
山向こうの町に住む友人の家へ届けに行くのでございます。
山道に差し掛かってしばらく歩いておりますト。
「もし、ご老人」
ト、藪の中から許彦を呼び止める声がした。
見るト、十七、八の若者が、草むらの中で横たわっている。
「足を怪我してしまいまして。もしよろしければ、その籠の中に私も一緒に入れて背負っていただけませんか」
許彦は、怪我をしたという足の方には同情しましたが。
さすがに、籠に入れて背負ってくれという申し出には、面食らうよりございません。
まず第一に、籠はそもそも人が入る大きさでない。
その上に、すでに鵝鳥が二羽入っている。
さらに言えば――これは道徳の問題でございましょうが――、若者が老人に背負えと言うのはやはりおかしい。
それでも、許彦は気の弱い男でございましたので、
「背負ってやりたいのはやまやまだが、籠にはもう鵝鳥が二羽も入っておるのでのう」
ト、やんわりと断りました。
するト、若者はどこまで図々しいのか、
「では、その籠の中に入られれば、背負って行っていただけますか」
ト、真顔で許彦に問い返す。
「まあ、入られたらの話だが」
ト言うか言わないかのうちに、若者はすっと吸い込まれるように、籠の中に入ってしまった。
許彦はびっくりしましたが、特に重くもありません。
二羽の鵝鳥も何事もなかったのように、変わらず籠に収まっている。
これといって困ったこともございませんので。
老人は奇妙に思いつつも、ともかく歩いて行きました。
やがて山頂までやってきますト、若者はみずから籠から下りました。
「ありがとうございました。おかげで足もだいぶ楽になりました。なんとか、この御恩に報じたいと思いますが、いかがでしょう。お食事でも一緒になさいませんか」
若者が丁重に礼を言いますので、許彦も悪い気はしない。
むしろ、図々しいと思った自分が恥ずかしくさえ思えてきた。
とは言え、ここは山の中でございます。
持ち合わせもないのに、何をどうやって食べるのだろう。
許彦が不思議に思っておりますト。
若者はにっこりと笑みを浮かべながら、ふーっと大きく息を吐きました。
ト、そこに大きな銅の箱が現れたものだから驚いた。
――チョット、一息つきまして。