こんな話がございます。
またぞろ、妲己のお百の悪行譚でございます。
お百の新しい金づるとなった美濃屋重兵衛でございますが。
旅商人ゆえ、いつも家を留守にしております。
その分、お百は毎日を気楽に過ごしている。
だがそれも、旦那が金を持って帰ればこそ。
留守があまり長く続くと、自分が遊ぶ金がない。
お百は毎日座敷へ出てせっせと稼ごうというような。
殊勝な心がけの女ではございませんので。
そのうちに座敷へも出ず、方々から金を借り。
家にこもって酒ばかり飲むようになった。
時は正月七日頃。
朝から雪がちらほら降っている日で。
お百の小さんはひとり三味線を爪弾きながら。
小唄を唄い、銚子を傾けている。
ト、そこへ――。
「雪はしんしん 夜(よ)もその通り
どうせ来まいと真ん中に ひとりころりと膝枕――」
どこからか聞こえてくる門付けの唄い声。
同じく女の声で小唄を唄っております。
病み上がりか、声がややしわがれている。
三味線も破れているのか、胴鳴りがする。
とはいえ、お百も上方唄で評判を取る美濃屋小さんでございますから。
この門付けの腕の確かなのは、よく分かります。
その切ない調子に感心して耳を傾けておりますト。
「ごめんなさいよ」
ト、ガラリと戸を開けて入ってきた男の声。
亭主殺しの後ろ暗さがあるお百は、思わずサッと身構える。
立っていたのは箱持ちの兼どんで。
ご承知の通り、芸者の商売道具を茶屋へ運ぶ小男でございます。
「なんだね、びっくりした。女の家の戸を急に開けるんじゃないよ」
「姐さん、あちこちのお座敷からお呼びがかかってるのに、そう引き篭もっていられちゃ、あっしが困る。姐さんが座敷に出ないとこっちが干上がっちまいます」
「そんなことよりさ。さっきから粋な唄声が聞こえてくるじゃないか。門付けにしておくにはもったいない腕前だよ」
「ああ、そのことなら、あっしもさっき見かけてびっくりしました」
「びっくりしたって」
「ええ、あれはね――」
ト、兼どんが語りだしたのは、その門付けの哀れな素性でございます。
一昔前には、太田屋の峯吉(みねきち)と名乗り。
深川一の評判を取っていた芸妓だそうで。
日光街道は粕壁の大店(おおだな)、葛西屋の主人に見初められ。
めでたく身請けされたのがその全盛。
ところが、葛西屋が米相場に手を出したのがケチのつき始めで。
瞬く間に身代は潰れ、反対に借金取りに追われる始末。
旦那は逃げるようにしてこの世から去る。
悪いことは重なるもので、取り残された峯吉は、心労からやがて目が暗くなる。
今は十三になる娘に手を引かれ。
かつて栄華を極めたこの深川で。
小唄を唄い、門付けして、何とか食いつなぐ日々だと申します。
「兼どん。その姐さんをこっちに上げておやりなよ。せっかくだから、深川一と評判を取った唄声を、目の前で聞かせてもらおうじゃないか」
ト、人情家らしく声を掛けましたのは。
戸の外に見えた娘の器量が、存外に良かったからで。
峯吉の哀れな身の上話を、聞いていたはずのその間に。
すでにお百の頭の中には、狂言が一つ書き上がっておりました。
――チョット、一息つきまして。