月岡芳年 ―血みどろ絵師は「生」を見つめた―

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師匠譲りのダイナミズム

師匠、国芳の得意とした武者絵のダイナミズム、大胆な構図は、芳年の画風にも大きな影響を与えた。

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「大日本名将鑑 上毛野八綱田」

「大日本名将鑑 安倍比羅夫」

「芳年武者無類 相模次郎平将門」

「芳年武者無類 遠江守北条時政」

「義経記五條大橋之図」

「大日本史略図会 第十五代神功皇后」

晩年の傑作「月百姿」

(つきひゃくし、またはつきのひゃくしとも)

月にまつわる説話や史実、芸能作品などを題材にした全104枚からなる連作。
明治十八年から実に八年間に渡って刊行された。

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「月百姿 大物海上月 弁慶」

「月百姿 玉兎 孫悟空」

「月百姿 破窓月」

「月百姿 つきの発明 宝蔵院」

「月百姿 稲むらか崎の明ほのゝ月」

「月百姿 つきのかつら 呉剛」

「月百姿 むさしのゝ月」

「月百姿 南海月」

「月百姿 信仰の三日月 幸盛」

「月百姿 月宮迎 竹とり」

「月百姿 鶏鳴山の月 子房」

「最後の浮世絵師」の系譜

明治以降衰退していく浮世絵界において、最後の砦というべき人気を博した芳年。
その系譜は、彼の弟子たちに引き継がれていった。

芳年の弟子として最も名高いのが、水野年方(みずの としかた)。
師の画風とは打って変わり、落ち着いた品性の漂う風俗画を得意とした。

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水野年方「小栗風葉『恋慕ながし』口絵」

年方の弟子には鏑木清方(かぶらき きよかた)がいる。
浮世絵師としてより、むしろ日本画家として活躍した。
有名な「三遊亭圓朝像」は清方の筆によるもの。
(著作権存続中のため、画像は掲載しません)

また、清方の門下からは、伊東深水(いとう しんすい)、川瀬巴水(かわせ はすい)の両大家が出た。
深水の美人画、巴水の風景画は「新版画」と呼ばれ、途絶えかけていた浮世絵の伝統を、近代に復興させるものとなった。
(ちなみに、伊東深水の娘が女優の朝丘雪路)

川瀬巴水「東京二十景 桜田門」

(伊東深水の作品は著作権存続中のため、画像は掲載しません)

さらにその作風は、現代においても花輪和一や丸尾末広らに引き継がれている。

※参考文献
「血と怪奇の異才絵師 月岡芳年」(河出書房新社)
「謎解浮世絵叢書 月岡芳年 魁題百撰相」(二玄社)

1.芳年と「血みどろ絵」
2.故事を描く「大日本名将鑑」「月百姿」
3.余苦在話ト芳年

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